父母の眠った夜更けに、ときどき足音をしのばせて表に出たものだった。中学生や高校生だった頃。裏山の木々が、風にざわざわ鳴るのを聴き、道端に寝転んで、星を見た。夏は向かいの田んぼの蛙が鳴いていた。月明かりに、電線が五線譜のように浮かぶのを、ドドソソララソ、と踏んで歩いた。
どこかに、もうひとりの私がいる、と思っていた。どこかに、もうひとりの私がいて、いま同じ星を見ている、と思った。いつか、もうひとりの私に会うことがあったら、なんにも言わなくても、すっかりわかりあえて、心は明るく透きとおる、そんな気がしていた。
家でも学校でも、心が軋むような感じだったから、真夜中、誰もいないところで、ようやく素直な自分が呼吸することができるようだった。その自分は、大人たちの目に映るほど、悪くない。そのことを、もうひとりの私は知っているはずだった。
何がそのとき目覚めさせたのか 幼な子は
父親たちの住まいの戸口から さまよい出て
あやしい月光の 照らすとき
人影もない荒野に ただひとり身を横たえた
やがてそれをわたしは聞いた おまえも聞いた
そしておまえには 天使のように美しく歌いかけたのに
このわたしには 惨めさの悲鳴のように
その狂おしく騒がしい調べは 嘆いていたのだ
エミリ・ジェイン・ブロンテ(中岡洋訳)