境界線上の子ども

 そういえば、子ども、生まれたときは2570ぐらいだったし、その後の成長も身長体重ともに、平均値のぎりぎり最低ラインだし、境界線上の子どもではあった。
 と、数日前、療育センターに検査の診断をききにいって、DQ(発達指数)が70ときいて、そう思った。知的障害があるかないかの境目の値が70だって。生活習慣と社会性がずば抜けて低いのだが、他の検査では、80、90という値も出ているので、知的障害はないだろう、という。
 広汎性発達障害自閉症スペクトラム(連続体)の診断。弱いけれども自閉傾向があるようで、アスペルガー症候群の疑い。それにしても医師が示してくれた図の、ことごとく境界線上にいる子どもだなあ。
 この境界線上の子どもは、以前は療育の対象ではなかったが、2、3年前から療育の対象になったそうで、しばらく療育センターに通うようだ。療育センターも数年前に新築されたばかりできれいで、なんというか、きみは大事にされているなあ、と思う。子ども、療育センターに行くのが楽しい。
 
 自閉症は、重度の場合はそうではないが、軽い自閉症の場合は、遺伝の可能性が指摘されているらしい。ああそれで、と納得する。かたくなさも、こだわりの強さも、自分たちに似ているなあとしか思わなかったもの。 わかりやすいし、つきあいやすい子どもだと思ったのは、同類なんでしょうね。人間関係の暗黙の了解などが、理解できなくて、苦しいかもしれません、という。それは親たちも、とても苦しんできたところだから、すこしは、子どもの役に立てるかもしれない。
 家のなかでは、親子の関係においては、なんにも問題ないのだが、学校に行くようになったらどうかしら、というのが、やや気がかりだったが、自閉症なり、アスペルガーなり、診断されるとかえって楽だと思う。なぜ、みんなができることができないんだろうと、苦しまずにすむもの。
 自閉症は、教育の問題ではないから、親の教育が、などと言われたって、もちろん困りますが、本人やまわりへの相応の教育によって、防げる苦しみはたくさんあると思う。
 生きるのは誰にとってもたやすくないと思うけれど、不要な苦しみを負わずにすむように、自己否定を抱え込まずにすむようにすることは、最低限大切なことだと思う。 
 
 もしかしたら、境界線上を宿命づけられた子どもかとも思うけれど、今回の診断がきみにとって、人生の価値創造の手がかりのひとつになればいいなと思います。