地図

「ママ、ロシア連邦シベリア鉄道があるのよ」と子どもが言う。
シベリア鉄道こんどのるのよ」と続けて言う。
「いつのるの?」ときかれても。
いつか、きみが大きくなったらね。ひとりで行きなさい。
「ママ、アメリカはミッキーマウスが生まれたところなのよ」
「ママ、オーストラリアはコアラがいるのよ」
「ママ、チリはながーいのよ」
などと言いながら、世界地図パズルを楽しんでいるが、
「ママ、パキスタンは何があるの?」
「ママ、マリは何があるの? ニジェールは?」
などと、ママに質問しないでください。地図の絵本にのっていないことは、おかーさんにもわかりません。
 
モーツァルトとクジラ』という本、義父母の家に行ったらあったので借りてきて読んだ。アスペルガーサヴァンの男女が、波乱の人生の半ば、中年になって出会い、恋愛し、結婚するが、うまく暮せずに離婚し、けれどもまた数年後に再婚する、という話。サヴァンの天才にはかかわりがないが、生きることの混乱ぶりは、ところどころ、身につまされるようで、たくさんためいきをついた。
読んでいる本の話など、まずパパとはしない。当たっていない、とは言わないが、そういう言い方するか!? というような身も蓋もない言い方をするので、それなりに感情移入して読んでいる私は傷つくのだ。
のだが、この本のドライブの場面は、思わず、パパに喋った。
 
彼が運転して、彼女の両親のところに向かうとき。彼は地図とメモを彼女に渡して、ナビゲーターをさせたのだが、たよりない彼女のナビにいらつきはじめる。「いつか着くわよ」と彼女が言うのが、ゆるせなくて、ドッカーン、怒りが爆発する。
 
まるで私たちみたいだわよ。
 
私はナビをしたくない。だいたい走ってる車のなかで、地図を見るなんて吐きそうになる。だから一緒に暮らし始めてすぐに、私はそういうことに役に立たないことを宣言し、パパは、ひとりで地図を見てあらかじめ地図を頭に入れておくことにした。それでなんとかうまくやっている。
本のふたりも、もう一度結婚したあとは、そうしているみたいだ。
夏に京都に行ったときも、パパは前日、数時間地図をながめて記憶し、何にも間違わずに、すいすいたどり着けたのは立派だった。帰りに時間がかかったのは、高速代をけちったせい。
 
そんなわけで、どこかへ行くとなると、インターネットから引っ張り出してきた地図を部屋にひろげることになるんだが、
最近はちびさんまで、日本地図だの、世界地図だの引っ張り出している。ぬりえのために用意してやった日本地図と世界地図の白地図のぬりかけ、が、部屋じゅうに散乱している。