『神は外せないイヤホンを』

「剣かコーランか」
この問いは、異教徒を殺せ、ということではなかったはずだ。
コーランは、言葉、宗教、哲学、詩、文化、人として生きる道。
別の文化では、それはバイブル、また別の文化では、それは経典。
「剣かコーランか」
突き詰めた問いは、戦を選ぶのか、文化を選ぶのか、という問いだったはずだ。
あるいは、宗教、哲学、文化を捨てれば、人は愚かな戦をする、という警告だったはずだ。
異教徒を殺せ、と読みかえたものは、コーランを信ずると見せかけた獅子身中の虫。死と殺戮へ向かわせるものは。


『神は外せないイヤホンを』(思潮社
河津聖恵さんの詩集を読んだ。

  詩の予感のように白さを耐えるフィールドに 天もすてたもうた「希望」を追え!
  神は外せないイヤホンでバッハを聴きつづける 赦しよりも深く


言葉は、人を生きさせようとする。
どんな絶望的な地点からも。
詩人の言葉とはきっとそういうものだと、ひどく素朴なことを、ふかぶかと思った。

きっと、「希望」を追うことほど、難しいことはない。
天もすてたもうた「希望」。
人間なんて、実にたやすく、いいかげんな理由をつけて、捨てる、裏切る、読み違える。「希望」を捨てた言い訳ばかりがあふれ、言い訳の巧みさを知性と錯覚しそうな時代に、こんなに率直に「希望」を追え!という。

とてもいい詩集。言葉の生命力に、胸の奥があたためられた。とても、ありがたかった。

ちびさんのおえかき。ここんとこ、ひたすらかきつづけているあれこれの路線図。どの道を通ってもいいから、きみも、「希望」を追うひとになりなさい。なりましょう。