反省文

おじいちゃんにお手紙出したら、お返事がきた。お返事がきたので、またお返事を書く。

「おじいちゃんおばあちゃんへ。なつやすみにあそびにいきます。きょうはおんがくきょうしつにけろろをもっていきました。おじいちゃんがほめてあげます。りくし」

音楽教室ケロロのマスコットをもっていったことを、ほめてもらうのは無理だと思うよ。何かほめてもらえることを書いとこうよう。で、追伸書かせた。「ドレミミレドがひけます」



いつものことながら、ごはん、と呼んでもやってこない。いつものことなんだが、昨夜は無視の度あいが際立っていた。ごはんって、すぐ近くで何度も何度も言ってんのに、返事もせず、ふりむきもせず、ひたすらに車を並べつづけている。
「わかった、食べなくていい」なんて言ったって、もとより食べたくないので、うん、食べない、となるのがオチだし。
けど、体をゆさぶって、「ごはんを食べるよ」と言っても、目もあわさず、次の車を並べたいところを見ているし。
ぴしゃん、とほっぺた叩かれて、ようやくこっちを向いて泣いた。
泣くと「ティッシュとってよう、はな、しゅんしゅんするんだよう」と、とてもえらそうに主張する子である。台所のティッシュを取りに行かせて、そのまま台所に追いこんで、テーブルの前にすわらせた。

すでにもくもくとごはんを食べていたパパが、「ママが怒ったらとめられん。おまえはあとで車庫だ」と言う。
ちびさん、車庫はいや。車庫はこわい。大きな声で、ごはん、と呼ばれても<聞こえない>が、小さな声でも、離れたところにいてさえ、車庫、は<聞こえる>。
「しゃこはいやなのおおおおん」と、またひとしきり泣いて、ようやく、ごはん食べはじめる。はあ。

聞こえる聞こえない、あるいは、聞こえていても、内容を理解するしない、あるいは、内容を理解しても、それに対応する対応しない、は、自分のなかの関心の度あいによって、決定されていくみたいで、関心のないことは、聞こえていても聞こえない。
うちは3人とも(とりわけ私とちびさんが)そうなので、「言った」「聞いてない」「怒らないでよ」「怒らないと聞かないだろ」みたいなことを、いつも誰かが誰かに言っているが、とりあえず、ちびさん、ごはんには関心がない。
ので、反応しない。(おやつなら、反応する。)

気持ちはわかるよ。ごはん食べるより車で遊びたいよな。ママもごはんつくるより、本読みたい。だけど、声をかけられたら、返事しろ。返事しないと話し合いもできない。きみだって、いっしょにあそぼうとママを呼んで、ママが返事しなかったら、困るだろう。
で、書かせた。反省文。車庫と反省文とどっちがいいか、選ばせたんだけどさ。

「ごはんとよばれたら、すぐにごはんをたべにいきます。やくそくします。りくし」

台所のよく見えるところに貼った。
はじめての反省文。


幼稚園バスがくるところまで歩く道筋の家々の車のなかに、神戸ナンバーの車がある。「このくるまは神戸から広島にきたのよ」という車が走っている地図の絵。車のナンバーまでおぼえてるし。別の家の広島ナンバーもおぼえてる。誰さんちの車かわかんないけど。(私は自分ちの車のナンバーを何度おぼえても忘れる。)