もうすぐ12月

 もうすぐ12月。どうしようどうしようどうしよう。片付けなければ。掃除しなければ。冬支度しなければ。しなければならないことがたくさんあるような気がする。気はするが、体は動かない。
 夜、お片付けしようと言っても、ちびさんさっぱり取りかからない。「だって、できないよ」「だって、つかれちゃうじゃないか」「だって、むずかしいよ」文句だけは言う。
 気持ちはよーくわかる。散らかしすぎて、どこからどう片付ければいいか、とほうにくれるのだ。で、とほうにくれた気持ちをもてあましながら(そのうちそんなことも忘れて)さらに散らかして遊びつづける。
 もうほんとに、自分を見ているみたいで。

「片付けないなら捨てる」「いやだ、すてない」のやりとりが、毎晩毎晩。
 パパなんか「おもちゃは捨てないよ。おまえを捨てる。いのししのところに行くか。クマのところがいいか」などと言う。「いやなのー、すてないのー」と、いちいち泣くのが面倒くさい。
 さらにパパ、「ママもりくを捨てるっていってるぞ」と言ったらしい。するとちびさん、このときは泣きもせず、
「えー。ママがそんなことするはずないでしょ」と言い返したらしい。 なんだかりっぱ。

 片付けないから捨てると脅される、という因果は、ちびさんには通用しないと思う。それはそれ、これはこれ、なのだ。にもかかわらず、そのほかに声かけを思いつかない、私たちの発想の貧しさは。
 だいたい自分が、これ以上片付けないでいると、暮らしに支障をきたす、というぎりぎりにならないと動かないでいるから、そういうことになるのだ。

 ようやく片付いた部屋で、ちびさんに、毎晩、腕まくらしてもらってわたしは眠る。首の下にすっと小さな腕がはいってくる。耳もとで「われとそなたはめおとぼし…」と曽根崎心中のせりふを、暗唱する。数語ずつ私と交代で。つづいて「ぎおんしょうじゃのかねのこえ…」最後は「はるはあけぼの…」の夏まで。
 教えたのは私だが、ここまで律儀に、毎晩繰り返すとは思わなかった。数か月(何か月つづいてるんだろう)変わらぬ入眠の儀式。

 そんなことはいいのだ。ああ、片付けよう、片付けなきゃ、片付ける。  

パアララン・パンタオ「奨学生たち」UP
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