葬儀の花の花言葉かな

田舎の知人から電話。うちの家族の恩人のような、私には兄のような人から。とても久し振り。何もなくて電話がかかってくるということはないので、何があったんだろうと思っていると案の定。

伯父のひとりが亡くなった。(という身内の話を、父からでもなく兄からでもなく、別の叔父からでもなく、兄のような他人から聞く、という、私の家族のぶっ壊れようは、もうなんていえばいいか)
最後に会ったのは祖母が亡くなったときだから、もう8年ちかくになるのか。80歳ぐらいかな。もっと上かな。子どものころは、盆や正月には祖母の家でよく会った。気のいい酒呑みのおじさんだったが。酒を飲んでいないところを見たことがないような気がする。
すでに、通夜も葬儀もすべて終わったらしい。

父が入院している。他人の家の植木の世話をしていて、木から落ちて肋骨を折ったらしい。一日入院して、退院していいと言われたが、家に帰っても寒いし、炊事もつらいので、個人病院に移って入院している。最近何かあるとすぐに、自分の葬式代の話をはじめるらしいが(葬式代貯めておいてくれるならありがたい)、体のほうは心配はいらない。というので、見舞いには帰らないことにする。父の家、子連れで帰って泊まれるような家ではないのでした。しかも冬に。

「たまには顔見せてやれ」と言われる。
「うん。あったかくなったら、子ども連れて帰るよ」
「喜ぶよ」

近くで一人暮らしのお婆さんが亡くなった、という話を聞く。家はもうぼろぼろで、通夜や葬儀をできる状態ではないので、葬儀会場を借りて、一番安いコースでなんとか通夜と葬儀をすませたが、問題はそのあとだ、親戚の誰も、葬儀代を払えないのだった。「たいへんだったよ」というだけで、どうおさめたかは聞かなかったけど(彼は民生委員をしている)、そんな一人暮らしがたくさんいる。「葬儀ぐらいせめて人並みにと思っても、金がないことにはなんともしてあげれんが」。

夏にフィリピンで出会った少年の家には、葬儀代がなくて、葬儀が出せない母の遺体が、一週間置かれたままだった。結核で亡くなったというその母親の死顔を、私はきっと忘れないが、もしかしたらそれは、異国のスラムの話でなく、私の故郷の話でもあるかもしれない。

年金生活者とか生活保護世帯が、むしろ裕福に見えてくるような経済状態で生きている人がいっぱいいる。(でもたぶんそれが、世界標準)。

ああ。葬儀の花の花言葉かな。

 ほどかれて少女の髪に結ばれし葬儀の花の花言葉かな(寺山修司