壁と卵と戦争と認知症

複数の友人たちのブログで、エルサレムでの村上春樹の「壁と卵」の演説(私は卵の側に立つ、というやつ)は何度も読ませてもらった。ハルイチさんが、戦争のことについて書いているのが印象的だったけど、被害であれ、加害であれ、どんなことも一個の卵の体験として、とらえなおすことが大事だと思った。

友人が、フィリピンの戦争被害者の体験を聞くツアーに参加して、その報告を読ませてもらった。千数百人の村で、生存者百名という虐殺が日本兵によって行われたこと、死体を埋める穴を掘る手間をはぶくのに、井戸や川に投げ込んだこと、などなどなどなど。
戦争で何万人殺した殺されたではなく、ひとりひとりがどのような体験をしたかを、知っていくことがすごく大事だし、日本の戦後は、それをまったくおざなりにしていると思った。

さて、地獄は被害者の側にだけあるのでもない。

昔の知人が、しばらく前に電話をくれて、「かずみちゃん、あんたのおかげよ」と言う。なにが、と言ったら、私が昔、そのひとと暮らしていたときに、戦争とか従軍慰安婦とか、そういう類の本を読んでいて、それを彼女もぱらぱら読んでいたのだそうである。
それが役に立った。
というのは、同居している連れあいのお父さん(88歳)の認知症がすすんで、それで何が困るって、グループホームデイケアにつれていくと、お婆さんたちとかスタッフさんたちに、させろやらせろ、お前いくらだ、みたいな、セクハラしまくりらしいのだ。息子や娘は父親の思いがけない姿に絶望してしまっている。
そのお爺さんの世話しながら(もちろんセクハラされたらひっぱたくそうである)彼女は思いいたったらしい。もしかしたら戦争中の記憶かも。
それで、おじいさん、それは慰安婦のことか、と聞いてみた。おじいさん、きょとんとしていたが、おじいさん、それは「ピー屋」のことか、と聞いたら、おじいさん、いきなり生き生きして、そうだそうだ、日本人は一番高くて七円五十銭、次がフィリピン人、朝鮮とインドネシアは安い、とか喋りだしたらしいのだ。
ピー屋というのは慰安所の隠語。それが、私のもっていた本に書いてあって、それを思い出したおかげで、お爺さんの行動の謎が解けた、ということだったのである。
お爺さん、デイケアに行くのを、慰安所に行くと思っているのだね。

謎が解けても、セクハラ爺さんとても元気らしく、デイケアでは嫌われるし、家族の地獄はとうぶん続きそうなのだが、なんというか。

死ぬときは壁も卵も、一個の卵になって死ぬのだろうなあ。腐った中身もぶちまけて死ぬのだろうなあ。
生きているうちに、若いうちに、腐った中身は見つめ抜いておくべきである、と思った。
イスラエルの兵士が、アラブ人の妊婦に照準をあわせた絵のTシャツ(妊婦をねらえばふたり殺せる、とか書いてあったらしい)を着ているというようなニュースに寒気がしたが、いま壁の側にいる兵士たちも、死ぬときは一個の卵になる。何をぶちまけることになるのだろうなあ。

あの戦争もこの戦争も過去ではない。