言葉

中学一年のときの教室で、女の子たちの喋っている言葉がわからなくなった。思えばそれは、他人の噂話で、そんな話をなぜするのか、そんな話の何が面白いのか、さっぱりわからなかったのである。それでその類の話に加わらないので、私は他人に関心のない、どっか遠いところを見ている人間だと思われたりしていたらしい。
他人の噂話はいまもよくわからん。聞かされるのも面倒なので、そのような場からは早々に立ち去るのだが、立ち去れないこともある。そうするうちに聞くべき内容もあるのだと、気づいてきた。

自分自身、難病を抱えた自宅療養の身ながら、連れあいの認知症のお爺さんの世話をしている人が、友人たちの話をする。
同じ難病を抱えた車椅子の女の子が、倒れた母親の看護をしながら福祉作業所のスタッフをしているのを「あの子はほんとうにえらいよ」と言う。
また町内会の仕事を、できない自分のかわりにしてくれる近所の人が、4人の子どものうち2人までが知的障害がある、その子たちを一生懸命に育ててきた。「ほんとうにえらいよ。あの奥さんの苦労に比べたら、うちなんかなんでもないよ」という。

「ほんとうに、えらいよ」という声が、いつまでも耳に残った。
ほんとうに大切な言葉を、私は聞かせてもらっていると思った。
人それぞれの不幸は、もしかしたら、こういう言葉が言えるようになるための恩寵のようなものだろうか。

ほんとうに、えらいよ。

なんでもなさそうで、でもそんなにたやすく言える言葉ではない、心からの声。