「ヒマラヤの孤児マヤ」

岩村昇、という名前を、聞く。
聞き覚えがある名前。小学校のころに聞いた。
ネパールに行ったお医者さん。

気になって検索しているうちに思い出してきた。
1960年代から1970年代の20年間ほど、ネパールに住んで、結核予防に取り組んだお医者さん。使用済み切手でBCGワクチンが買える、というので、学校で集めたのじゃなかったかしら。手紙のやりとりなんてしない家だったから、切手なんてあんまりなくて、つまらなかった。

そのころ東京か大阪にいたはずの私の兄、の亡くなった父(母の最初の夫)は結核で亡くなったと聞かされていたから、それはとても怖い病気だった。遠いネパールでその病気と闘っているお医者さんがいる、ということを、心強く思った記憶がある。

岩村先生、宇和島出身だったらしい、と今頃思い出している自分がなんだかまぬけだ。学生のころ広島にいて、被爆したということは初めて知った。数年前に亡くなったらしい。

「ヒマラヤの孤児マヤ」という本を読んだことも思い出した。小学校の低学年のころ。結核にかかった孤児をひきとって育てる話だった。奥さんの史子さんが書いた本。

なるほどそういうわけで、ネパールという国が、子ども時代の私の頭のなかにあったわけか、と納得したりしている。

久しぶりに、結核、という病名を聞いたのは、はじめてフィリピンに行ったときだった。ゴミ山の麓の集落を歩きながら、この家の母親は結核で死んで、娘ももうじき死ぬだろう、と案内してくれたジェインが言った。(いろいろよくない噂もあったりして、もう10年ほども会っていないがどうしているだろうか)
去年訪問したときに会ったニカシオのお母さんも、結核で亡くなったのだった。10歳の男の子を遺していくからには、まだ40代ぐらいだろうに、柩のなかの母親は、小さくやつれて、老婆のようだった。

あのような現場に行くと、自分という人間が、どんなに役立たずかが、よくわかる。身にしみてわかる。
身にしみてわかることが、せめて必要なのだ、と思ってはいる。



庭のグミの実、今年はたくさんなっている。だれも食べないので、私と鳥がせっせとついばんでいる。