日蝕

昨日、皆既日蝕の日。
雨はあがったけど曇り空。太陽は雲のなか。太陽の変化は、なんとなく欠けてるみたいだ、ぐらいしか見えなかったけれど、たぶん部分日蝕がすすんだころ、庭にでると奇妙にしずかで、すこし薄暗く、何よりひいんやりして、風の又三郎とかやってきそうなふしぎな感じだった。

幼稚園の終業式で、半日保育から帰ってくるちびさんを迎えに行って帰ってくるころは、向かいの森の蝉がいっせいに鳴き出してうるさくて、ではさっきのしずけさは、日蝕で蝉が鳴きやんでいたのだ。

ネットの映像で黒い太陽を見る。太陽も白黒反転するのだし、いいかげん反転攻勢しなければ、と思った。あのこともこのこともそのことも。



戦いは、負けたらだめです。

昔、韓国のハプチョンにある原爆診療所を訪れたとき、院長先生が流暢な日本語で言った。「戦争は」と言ったのだ、「戦争は、負けたらだめです」
負けたらだめなのですか、と二十歳そこそこの私は訊き返したんだけど、重ねて先生は言った。「負けたらだめです。負けたらみじめでしょう」



パアララン・パンタオの原稿ひとつ書いた。

「学校は子どもたちが尊厳を与えられる場所である」というレティ先生の信念とその実践を書ければいいと思ったんだけれど、学校の紹介だけで字数がつきてしまった。

えらいのだよ。あの学校の子どもたち。5歳の子が、毎日2時間も机に向かって、読み書き算数する。しかもそれが楽しいという、うらやましいカリキュラムを実践している。

学びへの意欲と自信をもった子は、環境が困難でも、なんとか学校に通うことができる。でも意欲と自信を失えば、その先がもうない。だれも助けてくれない。
そういうせっぱつまったなかで、ゴミ山の子どもたちが、小学校に行っても勉強をつづけられるようによく考えられたカリキュラムだと思う。

その後の学びへつながっていく、学びへの意欲と自信を与える幼児教育の大事さに、原稿書きながら気づかされた。

きっと、一番ドロップアウトする子が多かった地域が、優秀な生徒たちがたくさんいる地域に変わっていくよ。みじめなままで終わらない。

そのような反転攻勢。