穴を売る?

晴れてきた。

台風なら警報が出て幼稚園は休みだ、朝、弁当つくらんでいい、と思って寝て起きたら、警報出てない。ので弁当つくった。

ちびさんは幼稚園。パパはお葬式。

夕べお通夜に行ってきた。いつもいつも笑っているおじさんだったけど、柩のなかでも笑っていて、なんかすくわれたような、よけい悲しいような。
同じ区の別の町の知人が来ていて「うちのほうも、自殺が多いのよ。今年もひとり、1年間で3人死んだ年もある」と言う。「油断ならんよねえ。誰が何するかわからん世の中よねえ」

ちびさん、ごそごそ動いていたが、まあまあ大人しくしていた。
こういう場所に、ほかでもないこのちびを連れていくのは、けっこうはらはらするのだ。(でも連れていく。)
柩のなかのKさんを見て、「おじいちゃん寝てるし、気まずい沈黙」と言った。帰りの車のなかで、目を閉じて「死んだふり」とかするから、ほっぺた叩いておこす。「今度そんなことしたら、ママ泣くぞ」とおどしておく。
「悲しくて悲しくてならん」とパパ。
ほんとにさびしくなるなあ、と思う。

今朝新聞を見ていたパパが、あっ、と声をあげた。
銀行株が軒並み下がっていたらしい。亀井モラトリアムのせいで。
「Kさん、銀行株を買った言よった。最近よ」
わしが買った株はみな下がる、とKさん言っていたらしい。
「それならもう、自分は株については運のない男なのだとあきらめてやめればいいのに、やめれんかったかなあ」
「わしゃあ、借銭(しゃくせん)まみれじゃ」そんなことも笑って言っていたらしい。
もちろん、死者の死の理由なんて、わかんないけど。

楽しいおじいさんがいなくなった。笑った顔のままで。



ところで、ちびさん、
連絡帳によると、ちびさんやっぱり最近、ひとりごとが増えているらしい。先生や友だちの話は聞けているようだけど、ひとりの世界でしゃべっている場面が増えてきた。(春以降、かなりうまくやっていたのだが)様子を見ているところです、という。
鉛筆でもおもちゃでも服でも、なんでも口に入れて噛みまくるのも気になる。本人無意識でやってるんだが。
でも自分もそういう子どもだったので、まあ、そんなもんだろう、と思う。というか、そうではない子ども、というのが、想像つかん。

まわりの子どもたちの成長についていけなかったりするのかもしれないが、ついていけないだろうが、幼稚園や小学生の会話なんてたいしたことないから、わからんでもいいわ。私は中学生になってもわかんなかったな。それで、わかんない、ということを意識できるようになったのが、中学生のときなのだ。

もうじき幼稚園の秋祭りの行事で、お店を出すらしい。
「ぼくは、あなを売るんだ」と言う。
あな?

あなって、穴?
穴って、どんな穴?
なんにつかうの? 買う人いるの?

折り紙で筒をつくって、並べていましたが。
筒、ではなくて、穴なんだって。
あな?

謎だ。