勇気100パーセント

庭のクリスマローズと沈丁花が咲いている。向かいの森の桜(電柱の移設工事のときに枝を切られて、さんざんな姿なのだが)も咲いている。春は来たのだ。まだ寒いけど。

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旅から帰った日の夜、ピアノの、最後の教室だった。幼稚園の頃から、毎年、エレクトーンアンサンブルの大会で、一緒に演奏をしていた4人が集まる。みんな同い年で、だからみんな高校を卒業した。進学先も決まった。高校に入学した頃に見て以来だから、久しぶりだったんだけど、女の子たちはとてもきれいになっていて、もうひとりの男の子は髪を銀色に染めて、それがまたよく似合っていた。よそで会ったら、きっと誰かわからない。みんな眩しく頼もしく見える。
幼稚園の時、一番最初に演奏した曲を、12年ぶりの初見でみんなで弾いたりしていた。みんなの、ピアノやエレクトーンの音を聞いていたら、いろんなことを思い出した。

最後に、ふたりの先生が、ピアノとエレクトーンで、「勇気100パーセント」を弾いてくれた。小学校1年のときかな、楽しそうに、毎日エンドレスで弾いていた。この子たちが一番最初に賞をもらった思い出の曲だ。女の子たち、泣いてたけど。私も泣きそうだったけど。先生にもみんなにも、感謝ばかり。

素直なやさしい子たちだった。長い間、ありがとう。素晴らしい人生をね。

そして、自分の子だけは、たのもしく思えないのであった。クラスメイトは毎日10時間勉強しているよ、と先生に言われても、そんなことしたら壊れる、と、せいぜいその半分の時間しか机に向かわなかった子が、いまは毎日起きている間ずっと、スマホ見ている。壊れると思うよ?

私はへんな夢を見続けた。大学に受かったというのは、実は間違いで、ほんとうは、もうひとつ試験を受けなければならなかったのだ、とか、合格証を返さなければならない、とか、ということは、このあと、この子は行き場がないのか、とか。
最近になってようやく、夢が変わってきて、大学に合格したことは疑わなくなったらしい。ところが、今度はいつまでも、大学のある街に、辿り着かない、という夢。こないだは、家族を乗せた車は、一面の菜の花畑で迷っていた。

受かったら、とても嬉しいだろう、と期待していたが、実際は、行き場があったことがよかったと、ほっとしただけだった。その安堵が、日が経つにつれて、新たな不安に飲み込まれてゆく感じ。
夢のようにお金が消えてゆくのが、まずおそろしかった。次々に振替用紙が届くの、詐欺かしらと思った。学資保険の積立なんて、もうとっくに消えてる……。

療育の先生に挨拶にゆきたい、と突然息子が言った。でもコロナ禍だし、会うのは無理かもしれないから、手紙を書こう、と言ったのは、10日ほども前なのに、いっこうに書かず、じゃあもうやめたら、と私に言われてようやく、机に向かって、そのまま何時間か経って、まだ書いていない。手紙の書き方がわからない、などと言う。え? 

卒業しました、進学します、の短い報告だけを、なんとか書いて、療育の受付に持ってゆきましたけれども。10年ぶりに訪れて、なつかしいって、言っていた。

銀行とか郵便局とか、区役所とか、病院とか、ひととおり回りましたが、まだ何か忘れていないか、不安。そしてあと数日で、きみはここを出て行くんだけれど。

近隣の人たちから、ささやかな贈り物をもらう。ドライヤーや置時計やお菓子や花束。テーブルに花があるって、この家ではまずないことだった。ありがたく。

これからが、人生本番、もっと言えば、人生の失敗本番なんだが。
そしてあいにく、人生に、リハーサルというものはないのでした。生まれたその瞬間から本番で、リハーサルはないのだ。私も、きみも、どんな子も。

全然安心しない。はらはらするばっかり。