六月の庭

6月の庭。ぐみの実がなってた。郷里では、ぐゆみ、って言ってた。今日のおやつ。

以前に某海外ボランティアの支援をしていた人から、もらったまま、行き場を失っている文房具があるという連絡をもらった。その活動はすでに終えているので、送れなかった物品だけが、残っているという。

さて。私は、本やDVDをお金に換えて寄付してもらう仕組みの、古本募金はやっているが、古い文房具は行き場がない。私も、本当はお金しか要らない。

お金しかいらない、と私はずっと言ってきて、それで、善意の人を怒らせたりもしてきたんだけど。

近いので取りに行く。ご主人が施設に入ってしまって、老婦人だけが、捨てられない荷物といる光景を思うと、少しでも役に立てる方法を考えようかと。

で、荷物を見て、胸がいたんだことでした。文房具屋の店じまいで貰ったらしいのだけれど、小学生のノートや文具、あまりに古すぎるし、汚れすぎてるし。それでも、フィリピンの山の中の、貧困地域では役に立つこともあったんだろうか? 

こんなものを海外に送るために、ばかにならない輸送費のために、助成金の申請をし(さいわい貰えたから何年も続けられたのだろうが)、もったいない運動と称して、あちこちの学校でお話をし、卒業生たちの上履きも集め、洗って送って、という活動をずっと続けてきたのかと、その心労と愚直な努力を思ったら、たまらない感じがした。

活動をはじめた中心者が、現地を去って日本に戻ったので、終わった、らしい。
事業の頓挫は仕方ないかもしれないと思うの、いつかは終わることだと思うの。時と場所と人と、それぞれの限界もあると思うの。でも数年間、生活も含めて、どれだけ、この人たちが活動を支えたかを思ったら、、、

一晩かけて、段ボール二箱分、一冊ずつ一個ずつ、除菌シートで拭いた。鼻の奥まで埃っぽい。私死ぬまで、ノートと三角定規には困らないと思う。

かんじのおけいこ、とか、日記帳、とか、理科、とか。漢字のおけいこしようかな。日記、30年ぶりくらいに書くかな。もし長く生きのびたら、孫のノートのお下がりに、その日のことをいろいろ書きつけているような、小さなお婆さんになろう。

6月13日。レティ先生の誕生日。生きていたら81歳。SNSに、家族や友人たちがUPするレティ先生の写真が流れてきてる。フィリピン行きたいんだけど、レティ先生がいないと思うと、つらくて、まだ訪問を考えられない。

敬愛できる人に出会えた分だけ、人生の幸せと思う。


太宰治の入水心中の日でもあるらしく。(桜桃忌は遺体の見つかった19日)
折しも昨夜、息子が電話で、太宰の言葉を教えてくれる。
「学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ」(正義と微笑)
たぶん、ツイッターあたりで拾ったのだろうが。
試験の成績がよろしくないの報告との取り合わせとしては、いいんじゃないのかな。
優等生が勉強するのはあたりまえだけど、劣等生が勉強するのはかっこええと思うで、と励ましておく。ノートいっぱいあるし、低空飛行がんばって。