夜のなかを歩みとおすときに

兄から電話がかかってきたのは月曜だったかな。叔父の電話から。金曜日の出来事について。
また、だ。兄は財布をなくして、全財産を失った。ため息出るよ。これで何度め。
年金出て支払いすませたのこりのすべて、急死した友だち(の遺族)に借金のいくらかを返してもらったばかりの、すべて失う。
それで妹の私への借金返す予定だったらしいから(ややこしいな)、私としては、借金返ってこない上に、次の年金までの米代薬代、送金しなければならない、のがしんどいぞっと。

兄が財布なくしたのは、離れた町だ。
 無一文になってしまって、友だちの電話番号もわからない(メモは財布のなか、ガラケーは電話代払えなくて使えない状態)帰りの切符も買えない兄は歩いたらしい。夜7時から歩きはじめて、翌朝9時まで14時間歩いた。75歳が。
死なずに帰りついた。
「死んだら死んだでよかったんやけどなあ、生きとるよ」などと言うのであった。

その話を息子にしながら、あの子もなくしものが多いので、気をつけなさいねと言いながら、いつか、兄のこの体験が、息子を守ることがあるかもしれない、という気がふとした。
人生のどこかで、ひどくつらく孤独な夜を歩き通さなければならないようなときに、家まで14時間歩きつづけた、このみじめな伯父さんの姿が、この子の伴走をしてくれることもあるかもしれない、と思った。

生きるのがたいへんつらかったときに、ずっと昔、借金取りに追われて、職場のトイレの窓から逃げ出したという兄の姿を、ふと思い浮かべて笑えて、生きる勇気が湧いてきた、みたいなことが、私にもあったので。
人はどんな姿で、どんな回路で、他者を生かさないともかぎらないので、生きているあいだは、絶対に生きることをあきらめてはいけないと、思ったのだ。

生活に、ときに危機を運んでくる兄は、もっと深いところで、厳然と私を守ってくれているのであった。

夏に帰省したら、聞かせてもらおうじゃないか。夜道を14時間歩くのがどんなだったか。

 

「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは橋でも翼でもなく、友の足音だ、ということを、ぼくは身にしみて経験している」

というベンヤミンの言葉を、思い出しているんだけれども。

その言葉を両吟歌集『クアドラプル プレイ』のあとがきに載せたのは、そのように私は、蝦名泰洋の詩歌に、助けられてきたのだと、死なれてしまう前に、伝えたかったんだよね。

いま蝦名さんの詩集、出したいなあと思っていて、そして思いいたる。

詩って、虚空に永遠に響きつづける「友の足音」のことか。

私たちが、詩を求めるのは。

 

庭の紫陽花。庭があまりにもジャングルだったのを、なんとかすこし手入れしたら、緑の奥に、季節を忘れずに咲いていた。