差別

朝鮮学校への「高校無償化」即時適用を!

 二〇一一年八月末に朝鮮高校への「無償化」適用手続きが再開されたにもかかわらず、なぜいまだに審査結果が出ないのでしょうか。
 二〇一〇年には文科省でも民主党でも、教育に政治をもちこんではならないという審議がなされていたにもかかわらず、同年十一月の「延坪島」砲撃事件を受けて菅前首相はそれを覆し、超法規的に朝鮮学校への「無償化」適用手続きを、二〇一一年八月まで停止したのでした。最近には中川文科大臣が、金正日総書記の逝去(二〇一一年十二月)後の朝鮮民主主義人民共和国の政情いかんが、「無償化」適用の最終判断に関連するという趣旨の発言(十九日)までしています。こうしたことは、政治や外交のために朝高生を人質にとっているのも同然のおこないで、許せません。
 文科省や政府は、一部メディアや世論における朝鮮学校「無償化」適用以外の声にも「配慮」しなければならないかのようにふるまっています。しかし、そもそも二〇一〇年二月に朝鮮学校だけを「無償化」から除外しようと言い出したのは、現・民主党政権でした。国が率先して朝鮮学校に差別的措置を適用しようとしたからこそ、地方自治体における元々ごくわずかな朝鮮学校補助金さえ、攻撃対象とされるようになってしまいました。現政権および文科省は、朝鮮学校差別を煽った責任を、世論やマスコミに転嫁することはやめて、いますぐに朝鮮高校に「無償化」を適用してください。

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という内容の葉書を、総理大臣と文科大臣に送りました。ちなみにこの立派な文章は私が書いたのではありませんが、同意して、私の名前を書いて送りました。総理大臣にお葉書なんて、はじめてのことだわ。

問題は、差別です。
あらゆる差違は、差別に結びつきうる。部落差別、障害者差別、民族差別、被爆者差別、よそ者差別、思想信条宗教による差別、ほんとになんでも。差違を差別に結びつけず、多様性へと開いてゆくのが、人間の知恵というものだと思いますが、そして知恵をつくして、差別をのりこえようと、私たちは努力してきたはずなんです。

地域コミュニティに差別の風が吹けば、コミュニティも人の心も、ぼろぼろになる。そのコミュニティに差別や諍いがあれば、道路の補修だってままならないでしょう。いいことなんか何にもない。
これまで、国が冷たく見捨てているなかでも、朝鮮学校に対して、地方自治体がわずかでも補助金を出してきたというのも(他の私立校とはくらべものにならないくらいわずかでも、それでも)、差別をのりこえようという、地域コミュニティの知恵、けなげな努力の成果だったはずなんです。

それを権力が、上からなし崩しに崩していく。マスコミが調子にのって、地方議員も調子に乗ってか、どっかの指図を受けてか、知りませんが、その手先になる。

差別との闘いは、集会やプラカードではない。当事者にとっては、せつないほどけなげな、日常の、近隣友好、地域貢献の努力なんです。それを理解しない首長や議員や記者は、地方自治を破壊し、地域コミュニティを破壊する輩だと思う。裏切り者だ。

こんな記事が目にとまった。あってはいけないはずの差別を、差別する側はたぶん差別と思ってない。
http://ameblo.jp/sanpurena/entry-11174101573.html