目が覚めると

3月17日(木)午前10時、参議院議員会館にて、原子力資料情報室と柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える技術者・科学者の会が主催で院内集会が行われた。
後藤政志さんの解説
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/897

被ばくを避けるために(原子力資料情報室)
http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1036

原発に関するQ&A
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=956



目が覚めると、いま自分はどこにいるのだろうと、思う。何を思い出さなければいけないだろうと考える。平日は考えるまもなく、子どもを起こして学校に行かせるが、今日は休日。
もう何年もテレビなど見ない毎日だったのに、この一週間は毎日テレビを見ている。現実というのはここではなく、画面の向こうにあるようで、その現実を見ていないと、ここにいる自分が夢のなかに落ちこぼれたかのように不安に思えるという、とても変な感覚だ。

原発の水撒きはつづいていて、つまり危機はまだ去っていない。
ということも思い出す。いつ終わるのだろう。
「ただちに健康被害はありません」と、政府も学者も言わなければならないことを言っていると思うし、不安や風評被害を煽ると言われても、技術者やジャーナリストたちもやはり言わずにいられないことを言っていると思う。
まるで船酔いしているみたいな気持ち悪さに襲われるんだけれど、こんなわけのわからなさのなかでも、自分がどうするかは自分が決めてゆくしかないし、どんな人生も誰のせいにもできないことだけは、確か。

戦後この国の人々は、もっといい生活を、と思って生きてきたのだろうけれど、もしもう一度生きなおすことができたら、この次は、いい生活でなくていいから、すこしましな人間になれたらいいなと思います。



雨が降ってる。
死者・行方不明者が2万人を超えた、という。

地震の前、オルハン・パムクの「イスタンブール」という本を読んでいた。そこに出てくる小さなエピソード、ボスフォラス海峡で家畜運搬船が沈んで、2万匹の羊が犠牲になったという、昔の新聞記事の話が、なぜかとても気になった。
そういうことも思い出して、つらい。

謹んでご冥福をお祈りします。