ランチ

療育のときに一緒だったお母さんたちとランチ。半年ぶりだったり1年ぶりだったり。年長さんの親が3人、年中さんが3人。たまたまみんな男の子。3歳頃の子どもたちの姿を一緒に見てきているからか、なんとなく会うとすり寄っていきたいようななつかしさがある。

幼稚園も保育園もいろいろあるなあ。向き不向き、あうあわない、運がいい悪い、ほんとにいろいろ。

保育園で不適応を起こして、あのときは親も子も泣いてばっかりだったというゆいくんも、保育園をやめて、公立幼稚園に移ってからの2年間はとっても楽しく過ごせている。そうして振り返ってみると、保育園のやり方って、こういう子には無茶だ。右向け右で動けっていうのは、もういじめと同じ。

療育のクラスの遅刻魔だったゆうとくんは、いろいろこだわりが強くて、手こずらせていたのだが、IQは高い。幼稚園選びにお母さん苦労していたが、モンテッソーリのお勉強させる幼稚園に入れたら、ぴったりはまった。でもその幼稚園、親が毎日のように通って、教材づくりをしたり、つまり親も勉強しなきゃいけないらしい。大学の付属小学校が近いのだが、子どもの障害に気づかないで、ただ天才と思って試験受けさせて入ってくる自閉の子もけっこういるようだとあとから聞いて、受けさせればよかったかなあ、と思った。

800グラムの未熟児で生まれたりゅうくんは、私立幼稚園の年少さんのときに、その幼稚園で教師が足りなくなって1クラス40人ちかい状態でおおごとで、お母さん同士の関係も悪くて、大変だったみたいだけど、これも年中さんから、公立の幼稚園に移ったら、問題なく過ごせている。先生が子どもを上手にほめて、はげましてくれる。

いい保育園があるからとすすめられて、公立保育園に入ったこうくんは、お母さんの仕事さがしも大変だったけど、理解のあった園長も担任も異動になって、いまは、子どものことを相談しても、ひとりで20数人みてるんですから、こうくんだけ特別扱いできません、と言われて、なすすべもない。配慮が必要なら、療育手帳とってください、そうしたら、加配をつけますから、と言われたらしく、しかし、知的な遅れはないし、手帳がもらえるほど、障害の程度は重くないのである。

なによ、それ、やめなよ、その保育園。教育じゃなくて飼育だよ、それじゃあ。いま2年保育をきらう親が多いから、公立幼稚園はけっこうあきがあるよ。保育園は、長くいる子はそれなりに要領よくやっていくけど、自閉の子はそういうふうにいかないんだから、そういう配慮をしてくれないところはだめだよ。とみんなで言って、お母さん、またしばらく悩むだろうなあ。

年中さんのだいちゃんは、うちのちびさんと同じ幼稚園。お兄ちゃんが自閉とADHDがあって、小学校の支援級に通っている。だいちゃんも支援級がいいのかもしれないが、家でお兄ちゃんにいじめられるうえに、学校でも同じクラスというのは、あまりにもかわいそうなので、幸い、おとなしくて人に迷惑かける子ではないから、通常学級に行かせるつもり。

働いていたお母さんたち、仕事やめていたりした。不況のせいかもしれないけど、とにかく職場がぎすぎすしていて、もうつらいのだって。

なわとびは、できないよねえ。なわをまわすのと飛ぶのと、一緒にできないよ。子どもの社会性を考えると、もう1年幼稚園にいさせたい。同い年の子と遊ぶのは、必死でついていけるかいけないかという感じだもん。

というようなことを、ごはん食べながら、えんえん話していた。

あたしはのんびり生きてるなあ。療育も楽しかったし、幼稚園も楽しかったし、ちびさん、不思議なくらい、まわりの理解と環境にめぐまれていると思う。

たぶん、発達障害の子どもにとって生きやすい環境は、そうでない子どもにとってもかなり快適だろう、と思うので、この子どもは大事にされてよいのだと思う。



そういえば、自閉症講座の最終回は、幼稚園のクラス交流会があって、私は行けなかったんだけど、パパが行った。内容は、自閉症の子をもつ先輩お母さんの取り組み。
ポイントは、ひとつひとつの事柄について、ひとつひとつ説明し、理解させる。はしょらない。スケジュール化と構造化。変更の受け入れにくさや思いこみの強さ、修正のききにくさに対しては、見通しを示すことで、安心を与えること。
それから家のなかに秘密基地をつくること。

たしかに、ひきこもる場所は必要だ、と思う。私にも。