花火大会

昨日、幼稚園の花火大会。
ごそごそ出かけてゆく。
ちびさん、同じクラスの年中さんの女の子に「あいぼう、こっち!!」と呼ばれたり、年長さんの男の子に「りくしー!!」と呼ばれて、みんなのところにさらわれて行きました。
楽しそうにしていたなあ。

盆踊りも、踊らないけど、輪のなかにいる。立ち止まって、後ろがつまってくるとダッシュで前に走る、という遊びをしていた。
たぶん。踊るのは難しくてできないので、彼は彼なりに、輪のなかでの楽しみかたを見つけたわけなんだが、学校の運動会の練習でこんなことをしていたら、「ふざけるな」と叱られるような場面かも。
去年は、輪のなかにはいれなくて、ひとりでしゃがんでいたので、輪を描いているというだけで、すごい成長なんだけど。

療育で一緒だった年中のDくんのママと話す。Dくんのお兄ちゃんは小学校の支援学級にいる。その小学校は発達障害への理解があるからいいけど、ないところはないのだと某学校の話をする。
校長も支援学級の担任さえ発達障害をみとめない。知的障害もないし肢体不自由でもない。わがままなだけだ。こんなわがままな子はみたことがない。親の教育が悪いのだと言われて、親も子もとてもつらい。
医者の診断書も出して、支援学級にいてさえそうよ。
そりゃ困る。とっても困る。
学校変われば?と言ったら、特別な理由なしで変われないのだそうだ。教師がポンコツだから、というのは理由にならんらしい。
それに無理して引っ越しても、教師って異動するから、どうなるかわかんないし。

ということは、発達障害の子どもが、理解ある環境で学べるかどうかは、まったく偶然とか運とかにゆだねられているわけだ。そのあたりの不信が、親たちが、子どもの障害にもまして、悩まなければならなくなってしまう理由だろう。

いじめが心配です。いじめだけは絶対に避けたい、と医者さんは言ったけど、学校でいじめがあるなんていうのは、それはもう教育の敗北を宣言しているに等しいと思うけど、教師の無知や無理解も、いじめと同じだと思う。

パパは、小学校のとき教師にいじめられたという。風変りな子のありのままを受け止めてくれたりはしなかったのだ。それは深い傷になっているし、教師の言うままに、息子を叱ったり責めたりしてきたことは、いまや義母さんの心の傷にもなってる。それが、なんというか、かわいそうだ。

それで、私がこわいのは、ちびさんが、学校で、教師の無理解からでもなんでも、理不尽な扱い方をされたとき、パパがどんなに怒るだろう、ということだ。何するかわかんないよ。恨み骨髄だもん。
うちのちびさんをいじめてはいけない。パパがほんとに何するかわかんないから。

就学前に、教育委員会に電話をかけて就学相談をお願いするか、学校に直接連絡とるか、私は迷っているんだけど。どちらかはしなくちゃいけないのかな。
ちびさんに必要な配慮なんて、ほんとに何げないことなんだけど、それができないなら、学校の先生やめたほうがいいよ、と思うくらい何げないことなんだけど、それは、私にとって、ちびさんがとてもわかりやすい子どもだからで、もしかしたら、他の人にとっては違うかもしれない。

みんなにあわせて、歌ったり踊ったりは難しいということは、言っといたほうがいいだろうなあ。
能力的にできないわけではないかもしれないけれど、ふざけたり怠けてできないというのでもなくて、ただ、ほんとうに難しいと本人には感じられていて、どうすればそれができるかがわからないのだ。
多くの子どもにとっては、どうすればできるかを考えるまでもなく、できてしまうようなことなんだが。

いつかできるかもしれないけれど、いつか、が、いつなのかはわからない。