車輪の下

たぶん最初から結論ありきのパブコメだったんだろう。高校無償化から、朝鮮学校だけを合法的に除外するための法令の改正(改悪だ)が行われた。生徒たち教師たち親たちにとっては、差別され排除される痛みにさらされ、政治の無責任な言動に翻弄されつづけたあげくの、残酷な決定だ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130220/k10015653441000.html
排除されて傷つくのは、そこに人生があるからです。
でも、排除する側が決して見ようとしないのは、そこに子どもたち大人たちの人生がある、その人生の側からの理由です。

権力は、朝鮮学校を潰したいという欲望をむきだしにしてきている、たぶんそれは、朝鮮学校の存在そのものが、日本の現代史の恥部を記憶する装置だからです。朝鮮学校がそんなにも憎まれるのは、北朝鮮のせいだというのは見せかけのことで、本質的には、歴史を直視できない、この国の欺瞞のせいであって、子どもたちは、その欺瞞の犠牲にされているのです。
と思う。

差別が起きるとき、その真の原因は、差別される側にではなく、必ず、差別する側の内部にあるんだが、そのことに、差別する側は、絶対に気づこうとしない。

この3年間、怖れながら思っていた。もしかしたら、車輪はころがりはじめたんじゃないか。ちょっと間違えたから立ち止まってやりなおす、ということができないほど、見えない悪意で車輪は転がっていってるんじゃないか。

転がりだした車輪は、人々を踏みつぶしてゆかずにおかないと思うけれど、車輪に潰されるのは、その車輪を転がすのに荷担した連中であるべきで、
子どもたちは傷ついてはいけない。
いまいる場所は正しいよ。

日本が悪い。

どこまで堕ちてゆくのかな。
日本人の問題だよ。