国家は国民を侮辱する

家にいられないので26日の午後は図書館で新聞読んでいた。
暇なので、メモとっていた。

中国新聞1面トップは、ジュネーブの会議で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に日本が賛同しなかったことに対して、被爆者ら抗議デモ、という記事。

社説も「核不使用に賛同せず」について。

「非核外交は破綻した。」
「何かと米国寄りへと傾斜する安倍晋三政権にとって、重要視する「核の傘」に比べれば、被爆者や国際社会の批判など取るに足らないのかもしれない。あるいは日本の核武装という選択肢を温存しておきたい思惑が顔をのぞかせたのだろうか」
「ほかの誰にも、あの苦しみを体験させてはならない─。あれだけの人間が悲惨を見た被爆地は、人類の未来に警告を発してきた。だからこそ、為政者は核兵器の使用をためらってきた。
 それはヒロシマナガサキこそが抑止力といわれ、もはや核は使えない兵器とみなされるゆえんである。」
「本当にこれが被爆国なのか。もはや政府には、そう名乗ってもらいたくない。」

忘れてはいけないことは、
国家は国民を侮辱する、

ということだと思った。 Cimg2494




人家途絶えたはての、峡谷の温泉宿に着いたら、空気はひんやりしていて、水音がきれいで、八重桜が、夕闇にぼんやり浮かぶのが、灯りみたいにあたたかかった。