愛を語る言葉

「たまごからひよこがうまれて、にわとりになって、それからからあげになるのよ」と言っていたのは幼稚園のときだが、
「ママ、からあげのつくりかたはね」と言い出したのは昨日のことだ。
「からあげのつくりかたは、しんだにわとりをきって、それからどうするの?」
死んだにわとり……いや、たしかにそうである。
「死んだ鶏を切って、味付けして、ころもをつけて、油であげる。……たぶんそうだよ」自分でつくらないので自信がない。
「ころも?」
「こどもでもいいよ。こどもと一緒に油であげる。それでママはりくを食べちゃおう」
「たべちゃいたいくらいすきだから?」
「そっ。たべちゃいたいくらいすきだから」

衣替えはすんだ。パパのはまだだけど、あの人は暑がりだから1か月遅れでいい。で、いつの衣替えだったか、ころもがえを、こどもがえと言い間違えたか聞き間違えたか。きみの受難ははじまった。

言うこときかないでいると、すぐ、こどもがえするぞっておどされるんだよな。イノシシの子になるか、シカの子になるか。

いつまでも出した玩具を片づけずにいて、それで叱られた子が、聞いてくる。
「ママ、ほんとうは、1かげつまえも、1ねんまえも、いいや、ぼくがうまれたときから、こどもがえしたかったんでしょう」
目がうるうる。
「どうしてそう思うの」
「だってぼくが、いうこときかないから」
おお。すこしはこたえてるんだな。
「きみが、言うこときいてもきかなくても、きみがどんな子でも、子どもがえはしません。ママはりくが好き」

ま、はっきり言って、言葉の暴力です。こどもがえ。

思い出した。トリニクっていうんだ。死んだにわとり……。



今日、子どもは、お風呂から出てパンツもはかないまま、「怪傑ゾロリ」を読んでいる。何か目にはいると、それまで自分が何をしようとしていたのか忘れてしまうんだな。それで、本をしまって、はやくパジャマを着て、とか言われた子どもは、ふと本から顔をあげると、なんというか、たましいをぬかれたような顔で、
「ママ、だいすきだよ。やさしいママ、だいすき」
といって、キスしてくる。

あ。
ああ。

これは私のやりかたではないか。
自分のわがままを通したいときとか、叱られそうなのをかわすときとか、
「パパ、あいしてる」
というと、たいていなんとかなるのだ。

子どもは愛を語る言葉を身につけた。