醜さの発見

夕方、子どもを耳鼻科につれていく。鼻水がもう半月以上もとまらないし、口のまわりもかぶれたように腫れている。
アトピーですね、って言われる。口のまわり、目のまわりが赤く腫れてるのもそうですよ。
そういえばそうだった。この子どもはアトピーがあるんだった。この2年間ほど、ほとんど出てなかったのですっかり忘れてた。
お薬もらって帰る。



夜、パパが出かけていないのをいいことに、子ども、ごはんになってもビデオとめないし、叱られると逆ギレするし、だんだん傍若無人である。さらに、宿題の本読みも、九九の暗唱も、やってないのに、やったっていう。

うそです。やってないよ。
「やったよ。やったから、カードにサインして」
いいや。ママはきいてない。本読みも九九もきいてないからサインできない。
「ぼく、やったのに。ひどいじゃないか。サインしてくれないなんて。」
この子ども、もしかしたら、うそついて、その自分のうそを信じ込むタイプだな。

あのさ、うそつくとばれるんだよ。
きみの両方の肩には、見えないけど、ふたりの天使がのってるのよ。ちっちゃいものクラブだね。そのちっちゃいものクラブが肩にのっていて、きみが何したかしなかったか、全部天に報告するわけ。いいことも悪いことも全部。
ママはだましやすいって思ってるだろ、でもパパはだませないな、ピアノも怠けるとばれるでしょ。やってない宿題をやったって嘘ついたのも、ママが言わなくったってばれるよ。
もしもパパもママもだませても、自分はだませないし、もしも自分までだましちゃったら、それはもう、破滅する。
だから、そうならないように、肩にちっちゃいものクラブさんたちがいて、きみがほんとは何を思って何をしたか、ちゃんと見てるわけよ。

それで、きみの肩の上のちっちゃいものクラブとパパやママの肩の上のちっちゃいものクラブが、お話するのよ。りくって子はさ、パパがいるときは、怒られるとこわいから、すこしはいうこと聞くけど、パパがいないと、ママのいうことなんか全然きかないで、叱られると腹たてて、本を蹴飛ばしたりするし、やってない宿題をやったって嘘いうんだよって、ちっちゃいものクラブさんたち、お話するわけよ。

「あーあーあー、そしたらぼくはとっても醜いじゃないか」
と、子ども半泣きで、座布団に顔を埋めて、叫ぶ。
おお。醜い、って気づくか。

「そしたら、ぼくは、醜くて生きていけないから、もう死んでしまうよ」
あら。
「だから、ぼくはとっても醜いから、もう、息をとめて死んでしまうんだ」
両手で口をふさいで、倒れこむ。
おーい、はやまるなよ。そういう苦悶するのは、10年はやい。

あのさ。醜いって気づく分だけは救いがあるよ。気づいたらなおせばいいんだし、ちっちゃいものクラブはいいこともちゃんと見てるよ。今日病院で、ぐずってお母さんを困らせていた小さい男の子に絵本貸してあげようとしたのはえらかったよ。
だから生き返っておいでよ。ママはきみが好きだし、いないとさびしいよ。

子ども、あっけなく生き返る。

で、九九と本読み。