ぼくはママをゆるさない  7

校長室でお茶飲んできた。
まず、校長、教頭、担任がそろって、申し訳ありませんでしたと、頭を下げてくれました。
担任が、頭のなかの霧がはれたみたいな顔をしていた。たぶん、今回のことを何が何だかわからないまま、ひとりで抱えあぐねていたんじゃないだろうか。
私はとても感情的に書いてしまっていますが、事実誤認があるでしょうか、ときいたら、ここに書かれている通りです。指導の仕方を誤って申し訳ない。子どもにも、きちんとあやまります、と言ってくださる。

手紙を書いてくださってありがとうございます、とお礼まで言ってもらった。ほっとする。とんちんかんがなおれば、それでいいです。

パパが担任に、本当はお礼を言いたいのです、と言う。子どもが、先生はぼくがこれ以上いじめられないようにと思って言ってくれたと思うと言ったとき、うちの子は人の気持ちを感じ取れる子になったのかと驚いた。それが一番心配だったんです。だから希望を感じた。成績もとてもよくなっているし、この一年間で、びっくりするほど成長した。とても感謝しています。

それから、いじめをめぐるいろんな話。
私は、小学校のとき、帰ろうとすると靴がなかった。誰かがどこかに隠したのだと考えるのが常識だが、アスペルガーの子に常識はない。自分はまちがって靴のない世界にまぎれこんでしまった、と思った。それは自分が、どこかで、何かを失敗してしまったからだろう、と思った。
その感覚は大人になってもずっと続いて、なんだかわからないけれども、自分は何かをまちがっているような気がする、ここに存在していることが、正当ではないような感じがする、その漠然としたおびえが、ずっとつづいた。
だから、子どもが何か言ったり書いたりしたことで失敗して、だからこんなふうになったと思ってしまっては困るんです。絶対に何にも悪くないということを、明らかにしてあげないといけない。

パパは、子どもの頃、相当荒れた学校にいたらしい。人をいじめて憂さ晴らしする癖がついてしまったら、人生は必ず行き詰まる、という例にこと欠かない。
一方で、当時、警察が目をつけるほど悪かった同世代の不良たちが、団地の近所にふたりもいて、あいつらがどうして、仕事ももって結婚もして平穏な市民生活を送っているのかと考えて気がついた。連中とんでもない不良だったが、弱い者いじめはしなかったんだ。
人をいじめる癖がついたら、しあわせになれないということを、子どもたちは知らなきゃいけない。

とかとかとか。

滞在時間1時間40分。私たちが車にのるまで、3人の先生方見送って頭を下げてくれる。へんな気分。親はどうでもいいんですってば。



連絡帳に書く。

今日はありがとうございました。すっきりお話ができてうれしかったです。子どもには「きみは悪くないよ」と一声かけてもらえれば十分です。
子どもは先生の愛情を理解しております。
クラス分けの件は、ママはお願いしてきた。でも学校には学校の事情があるから、全部きみの思うようにはならないかもしれないけど、先生たちは、きみが安心して学校に通えるように、考えてくれるはずだよ、と言いました。
「ありがとう」と子どもは言いました。
この一年間とても成長したと思います。感謝しています。校長先生、教頭先生にもよろしくお伝えください。