「우리」考

子どもが紙に、ハングルで「우리」と書いてきた。ママ、これなんと読むの。

教えてないし(教えられないし)どこでハングルを?、と思ったら、3年ほど前に、宮島に行ったとき、韓国の青少年のグループが来ていて、ひとりの女の子がつかつかとやっきて、うちわを子どもに握らせた。片面に日本の国旗、片面に韓国の国旗、それぞれ日本語と朝鮮語で友好の文章を書いてある。
そのうちわの文章の最初の文字。彼は、文字のかたちにしびれたのだ。

「ウリ、と読みます。私たち、という意味」
それくらいはかろうじてわかるが。

「ウリ」という言葉が不思議だ。
ウリナラ」(私たちの国)「ウリハッキョ」(私たちの学校)。
釜山で、日本語専攻の学生が「ウリナラ」を「わが国」と言うのを聞いて、私、と、国、がどう結びつくのか、困惑したのは21歳の秋だが、もしかしたら「わが国」ではないかも。

と思いはじめたのは、この国で「ウリナラ」「ウリハッキョ」という人たちの声を聞いてからだ。
「わが国」ではなくて、「うちの国」と言う感じかも。うちの国。うちの学校。

むかし、広島の初級学校の、移転前の校舎の屋上に「父、金日成元帥様に感謝します」とハングルの看板がかかっていて(それもなんとか読めた)なぜここで、アボジと言う言葉が出てくるか、不思議だったんだけど、それも「うちの国」なら納得できる。

「うちの家」「うちの人」とくれば、どんな父でも父は父で、もとヤクザでもホームレス寸前でも、兄は兄で、弟は弟。良いも悪いもない愛おしさのなかに息づく。

たぶん、イラクフセインなんかもそうだったと思うんだけど「お館さま」なんだと思う。たとえば信長が、叡山焼き討ちをしたことは、宗教弾圧だし、とんでもないことだけれど、フセインクルド人の虐殺とかもそうだけど、でもそれでも、お館さまはお館さまで「うちのお館さま」だったのだと思う。そこがわからないと「悪の枢軸」などというレッテル貼って、爆弾落としたアメリカみたいな非道なことをするんじゃないか。
この国もいま拉致問題をふりかざして、高校無償化除外という姑息ないじめをしているけれど。

翻って「ウリ」がわからない日本人の私である。たとえば自分がいた学校を「うちの学校」と思ったことはない。
学校というのは、たまたま地域で決められて、成績で輪切りされて、入れば管理されるところ、管理しやすければ○といわれ、はみだせば×と言われる。つまり学校は、いささかの思い出がそこにあるにしても、学校そのものは、気持ちを通わせる対象ではなかったのだ。

ゴミの山の学校で驚いたのは、子どもが学校にあわせるのではなく、学校がやってくる子どもにあわせて、柔軟に変化していくことだった。先生が、子どもに奉仕していることだった。
いま、パアララン・パンタオを、私は「うちの学校」と思うけれど、それはまがりなりにも自分が、学校を守りたいと思い、そのためにささやかだけれど、自分なりに力を尽くしてきたということがあるからだと思う。

「ウリハッキョ」もまた、そのようにつくりあげられ、守り抜かれてきた学校のはずで、そうでなければ「うちの学校」なんて言えるものではない。そのように血の通った言葉を侮ってはいけないし、血の通った学校を蔑んではいけない。

おさらく、権力者が押しつける「わが国」とはまったく違うニュアンスの「うちの国」がある。言葉とともに育てていった慕わしい「ウリナラ」がある。それは個のアイデンティティとともにあるものであり、でも多くの日本人には、理解することも難しくなっている情感ではないだろうか。

サッカーの鄭大世選手が、あなたの国はどこかと聞かれて、共和国、とまず答えて、でもそこで暮らしたいというようなことではない、「在日」がぼくの国です、と答えていたのが印象的だったけれど、それが彼の血の通った「ウリナラ」なのだろう。

一方で、慕わしさの感情とは無縁の、むしろ虚無の砂漠のようなところに私たちはいるような気がするんだけど、それでもって何をいばっているのかと思うんだけれど。

 奉仕の心になることなんです。

中原中也の詩のフレーズを、ふと思い出す。「ウリ」という言葉を支えるのは、奉仕の心なんだと思う。「うちの家」でさえ奉仕の心が消えたら壊れる。朝鮮学校の家族のような空気感は、「ウリハッキョ」という言葉に込められた奉仕の心とともにあるような気がする。

「ウリハッキョ」。血の通った言葉があるなあと思う。対象に血を通わせていく言葉がある。なんだか、そのとっかかりのような大事な「우리」だ。

子ども、「우리」につづく文字も、あれこれ書いていたが、あとはわからんから聞くな。