丁寧な言葉使い

フィリピンから帰ったとき、空港に迎えに来てくれた子どもが、何か喋った。
何か喋ったけど、聞き取れない。ごく小さな声だったということもあるが、私の耳が性能が悪くて(まわりの雑音も一緒に拾ってしまって)、肝心な相手の声が聞き取れないことがしばしばある、ということもあるが、
それでも「………でしょうか」と、何かとても丁寧な、言葉使いだというのはわかった。
どうしたの、と言ったら、パパが、
いつもそうだろう、こいつは言葉使いは丁寧だろう、と言った。
そう言われると、そのような気もした。
たった6日離れていただけで、自分の子が、どんなしゃべり方をしていたか、忘れている母親って(これは内緒だ)どうよ。でもたぶん、ふだんは母親的には全然気にならなかったってことなんだろうな。

そのあと帰省したとき、死んだくー兄の家に寄った。仏壇の横の写真を見たら、すこしこみ上げてくるものがあったんだけど、子どもが、写真見ながら、しー姉ちゃんに言った。
「それで、ご主人は、いつ他界したんでしょうか?」
……ちょっと私ものけぞりそうになったが、
しー姉ちゃん、聞き取れない。ん? という顔をする。
言葉ははっきり言っている。聞き取れないのは、それが丁寧語だからである。8歳の子どもが、そういう言い方をするなんて、想定外で、耳がついてゆかないのだ。
翻訳する。「死んだん、いつやった?」と私。
今度は通じる。
「もう3年にならい」としー姉ちゃん。
幼稚園のときよ、お葬式行ったでしょ、って言ったら、
子ども、「おぼえていません」って言う。
「なん、この子はおぼえとらい」しー姉ちゃんが確信ありげに言った。

それから広島に戻ってきたら、山田航さんの歌集「さよならバグ・チルドレン」が届いていた。ぱらぱらっとあとがき見てたら、

「……身体を操る意識がもっと澄みきった世界。ぼくはその世界に入れなかった。背筋を伸ばして歩くこととか、床に落ちたコインを指でつまむこととか、友達と話すときは先生相手のような堅苦しい喋り方をしないこととか、分かっていてもできないことがたくさんあった。」
とあって、
いきなり親しみの感情をおぼえました。

私の息子は、どんなふうに葛藤して、どんなふうに乗り越えてゆくだろうか。

 永遠に出走しえぬ馬のごとひしめき並ぶ放置自転車
 僕のほかに誰が歌へるといふのだらう超新星へのレクイエムなど
             「さよならバグ・チルドレン」




さて子ども、夕方、私の顔を見て言った。
「ママ、ママが先日教えてくれた、トッコウの意味は違っていましたよ」
また何をいきなり。
「ここを見てください。トッコウっていうのは、特別高等警察のことで、思想などを取り締まったと、ここに書いてあります」
と、まんが日本の歴史をひらいて言う。
そうでしたか。私が説明したのは、神風特攻隊のほうの特攻でしたね。日本語は、同音異義語がたくさんありますから、むずかしいですね。

そいで、おかーさんは、言葉使いも人生も、ときどき、しばしば、しどろもどろになります。