かんがえるぼく

青い傘をさして行った子が、プーさんの黄色い傘をさして帰ってくる。
雨の朝のバスは混んでいて、すわることもできなかったが、その混雑のなかで、傘の骨が折れちゃったらしい。
バスを降りてから教室までは、傘をささずに走ったらしい。
骨の折れた傘はあぶないので、学校の傘を先生が貸してくれたらしい。

まあ、いろいろあるよ。
しかし、バスのなかで、あんなに大きな荷物抱えて立っていたのか。えらいな。

学校、たのしそうではある。自分で勝手に時間割までかんがえている。それでもって彼の妄想のなかでは、ずがこうさくは、電車のペーパークラフトをつくるのだ。



夕方、ちびさん、エレクトーンを弾いている。私はもうむずかしくてついてゆけないので、見てやらない。ちびさん勝手に弾いている。聞いていると、聞いたことのあるようなないような曲なんだが、でもテキストにはない曲を、両手で弾いている。
それは何の曲、ときいたら、ちびさん答えた。

「ぼくのかんがえたモーツァルト

???

えーっと、つまり、でたらめなんだな。(でも和音は正しいみたい。)

もう一回弾いて、と言ったら、
「二度とおなじ曲はひけませーん」と笑う。
まあ、それはそうか。でたらめなんだから。

それにしても、
「ぼくのかんがえたモーツァルト

テキストの「魔法の笛」はモーツァルトだし、日曜日にパパが何かのCDかけるときに、これはモーツァルトだよ、とか言っていたけどもさ。

ああ、いきなり身近になったモーツァルト

6歳のモーツァルトも、こんなふうにたのしそうだったのかな。
こんなふうにでたらめではなかったと思うけど。