海峡

ジブラルタル海峡では、毎年2000人にものぼる人が、海の藻屑と消えるらしい。もちろん正確な数字はわからない。アフリカからヨーロッパを目指す移民たちが、灯りもつけずに夜、ゴムボートで海峡を渡るのだ。ボートの真ん中なら波がきても溺れない可能性もあるが、はしっこなら、やすやす波にのまれてしまう。溺れても助けてもらえない。捕まったら強制送還されてしまう。アフリカ各地から何年もかけて、多くは徒歩でモロッコまでたどり着いても、最後の海峡で、一瞬に何もかもがおじゃんになる。運がよければ生きのびられる。もっと運がよければヨーロッパにもぐりこめる。
運が悪ければ、死、という出口。

被爆後の広島から、小さな漁船に乗りあわせて、解放された祖国を目指した人たち。「原爆で焼かれて何もない、向こうに帰っても何もない、帰れないのよ」と言った韓国人被爆者の朴さんの声。向こうに帰ったら、残っていた親戚が財産を自分のものにしていて、居場所がないからまた日本にもどってきた、という話をしてくれたのは誰だったろう。
こないだ呂さんに言われるまで気づかなかったが、小さな漁船でしょう、9月10月は台風シーズンでしょうが、たどりつかないで沈んだ船も多いですよ。
でもそんなこと、気づきたくなかったのだ。
解放された国の国民なのに、戦勝国なのに、敗戦の日本人よりももっと哀れで、難民さながら、密航者さながらに、海峡を渡っていったこと。

すっかり忘れていたのに、いきなり思い出した。作家の金石範氏が、80年代に、広島で講演したことがあって、私はそれを聴いた。1948年の済州島の動乱で、虐殺の島から逃れてきた密航者に対馬で会ったときの話。拷問で乳房をえぐられた女がいたのだと話しながら、涙を流していた。

どれだけたくさん、死んできた海だろう、海峡だろう。
人は、そんなふうに死んではいけない。そんなふうに傷ついてはいけない。でも密航者たち、存在してはいけない仕方で存在しているから、その不幸は、知られないまま、消えてしまうんだろう。夜の海に。
ジブラルタル海峡。毎年2000人沈むんだって。
そのたったひとりの人生についても、私は知らない。

そうして、知らない、ということが、ふと、おそろしい。