三つ葉とつわぶき

部屋を片づける。足の踏み場ないので、足の踏み場つくる。紙屑の類を捨てる。
それから庭先を片づける。伸びた枝をはらって落ち葉を掃いて草を抜いて、通路を確保する。

庭のあちこち、三つ葉が生えている。じゃあ、今日はこれを食べよう。
たちまち思い出すのが、中原中也の詩なんだけど、中也さんは、三つ葉のおひたしが好きだったらしい。
さてそれで考える。
詩は「みつばのおしたし」って書いてある。
私は「みつばのおひたし」だとおもう。
こないだ亡くなった知り合いのおばさんは、横浜で生まれた人だった。
子どもの頃、まわりにいた大人で、方言ではなくて、共通語を話す人と言えば、そのおばさんのほかにいなかったんだけど、おばさんと話すと、「ひ」と「し」が、どっちがどっちか、わかんなくなって困った。
「おしたし」だった。おばさんがしゃべると。
おばさんちと、べニア板一枚へだてた隣のわが家では、「おひたし」だった。
中也さんのお家は「おしたし」だったのかな。

家の裏の通路には、つわぶきが植わっている。
つわぶきの、今年の茎と葉を摘む。

三つ葉のおひたしと、つわぶきごはんつくった。




  骨  中原中也

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌックと出た、骨の尖(さき)。


それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。


生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。


ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?


故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、――僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。