花嫁は

写真、で思い出した。

あの子は二十歳ぐらいだったのかな。妊娠して出産して、それから籍を入れて、披露宴はしなくても写真ぐらいは撮っときなさいと男の側の親が言うので、ドレス着て撮ったんだね。
あれから20年以上も経って、子どもたちも大きくなって親もとを離れたのを機に、彼女もようやく晴れて離婚して遠くへ行って、新しい恋人を見つけた。

ので、私もやっと気持ちを言えるんだけど、あの結婚写真は痛ましかった。
とても若くてきれいな花嫁のとてもきれいな花嫁衣装の、あの写真はつらくて見ていられない。昔みたときもそう思ったし、こないだはからずもまた見たときもやっぱりそう思った。もしも私があの子の母親だったら、不憫で泣く。誰も気づかなかったのかな。気づいても言えなかったのか。
写真のなかで、きれいな花嫁衣装を着ているのは、幸福な花嫁ではなくて、おびえた子どもだ。

かわいそうに、こんなちんどんやみたいなことをさせられて。
あんなおびえた目をした花嫁なんて。

いつまでもそこにいるわけにいかなかった家を出て、ひとりで暮らしはじめてみたら、よのなかは、途方もないわからなさと、寄せては返す、言葉と肉体の暴力の波で、
女の子には、とりあえず、隠れ家が必要だった。
そしてたぶん、隠れ家を手に入れるために、「愛」という言葉も必要だった。
嘘か本当かもわからないままに、抱え込んだ「愛」におびえ、妊娠におびえ、出産におびえ、ようやくそれを耐えて生きているところに、
きれいな花嫁衣装なんか着て、しあわせな花嫁のふり、という嘘までかかえこまねばならない。
めちゃくちゃだね。
あらわれた親族のあれこれに、愛想笑いもしてみせなければならない。
女は無一文だが、男の家には金もプライドもあった。善意もあった。
善意に応えようとして、ドレスを何着も着たし、花束ももった。
あの子は、どんなにみじめだったろう。

あの頃からDVはあったんじゃなかったか。

もしかしたら隠れ家は、いつか、いちばん危険な場所になる。

私、むかーし、最初の結婚のとき、東京にいく新幹線のなかで、頭のなかで、ずーっとドナドナが流れていた。まわりはおめでとうっていうので、へらへら笑ってありがとうっていう自分が、どんどんみじめになっていくのが、わけがわからなかった。
そもそもは自分が必要とした隠れ家だったから、隠れ家が手放してくれるのでなければ、よそへはいけない決まりだったんだけど、そうではなくっても、結婚するっていうのは、わからなさの方向に行くっていうことだったんだ。
全然知らない土地と環境と人間関係のなかへゆく、というだけでなく、名前までちがうものになって、ゆく。まったき根こぎ。
思えばけっこう過酷なことではないだろうか。
わからなさの方向から、また別のわからなさの方向へ手探りでゆく、断崖から落ちたら、きっと死ぬ。
という場面だったんだけど、きっと。
なのに、そういうところで、手探りの自由さえ奪うように、世間が顔を出す。
ふつうはこうだっていわれても、それが私に何の関係があるのかないのか、わけわからない。
いま思い出してもこわい。
手探りの自由がなくなったら、魂は死ぬ。

思い出すと、今はもうなんか笑ってしまうけど、
きれいなドレスの着せ替え人形させられた、あの日のあの子もみじめだったと思うけど、そのみじめさを逃れようとして、式の日も普段着で、まわりの大人たちを怒らせた私も、結局おんなじようにみじめだった。

  夫の母を怒らせたへんな服と靴ありのままわたしの貧しさだった

って、前に思い出したとき書いたけど。
だから披露宴なんかむろん、式もしないでって、親も呼ばないでって、私は言ったのに。

すこしだけ、あの日の自分を擁護してやると、
自分たちのことで、親たちを煩わせて、お金使わせて上京させたことだけでも、私は申し訳なくてたまらなかったのに、そのうえ、私なんかの着る服のために余分な出費させるなんて、とんでもなかった。
でも私も精一杯気をつかって、破れたGパンじゃなくて、その日はスカートはいたんだけれども。気を使って、慣れないことをした分だけ、またいっそう自分がたよりなかった。

母親のほうは、息子の嫁のみすぼらしさに傷ついたんだろう、かわいそうに。……でも、あやまりませんけどね。

隠れ家は、いつか出ていかなければいけない。それはわかっていたような気がする。あんなにおびえた結婚なんて、もとより破滅までの時間を待っていただけだよなという気が今となってはするんだけど、あの子も私もよく生きのびた。

あの子が今度結婚するときは、もっとしあわせな写真だと思う。
撮らないかもしれないけど。

ときどき、年賀状に混じっている、若い人たちの結婚式の写真が、しあわせそうで、女の子がおびえた子どものようでなくて、ほっとする。

それでいま私は、子どものお母さん、というだけで、世間に居場所があるようなのが、ふしぎな気持ちのこの10年ほどなんだけれども、
もうしばらく、この調子で存在をゆるされるかなと思うんだけど、そのあとは、老いとか死とか、またとほうもないわからなさの方向へゆかねばならないんだろう。

元気出してゆこう。