思い出したくない思い出

「ママ、思い出したくない思い出ってある?」
と、今朝突然子どもが言った。
それはもちろんある。人生なんて思い出したくない思い出だらけだ。

「たとえばどんなこと?」って子どもがきく。
思い出したくないから、すぐに思い出せないけどさ。たくさんだよ、たくさん。
ものすごくたくさん。

「たとえば、ママの場合だったら、ほら、岡山に行ったときのこととか」
ああ、あれね。道に迷ってパパとけんかして、きみがパパの味方したから、ママがひとりで置いていかれそうになったこと。
「そうそう。ぼくの場合だったら、あれかな、山口に行ったとき」
山口でなにかあったっけ。
「ほら、仙崎に行ったときと、それから山口からの帰りに、捨てられそうになった」
ほいほい。パパはすぐに言うからな。捨てるぞって。きみは叱られるたんびに、捨てられそうになるわけだ。
そのうち笑い話になりますが、としても、思い出したくない思い出は大事かもね。

思い出したくない思い出は、たぶん、さびしがりやだからさ、一度は思い出してあげようか。一度思い出して、それからさよならすればいいよ。

みたいな話をした。



さて、それから考えている。

思うに、人生のほとんどは、思い出したくない思い出である。
それはねえ覚悟したほうがいい。
思い出したくない思い出がどんどん増えるのが、生きるってことだよ。

美しい思い出、って言葉があったっけ。でもそんなもの、ないと思う。
私が美しく生きてないからね。
ほんとのところ、思い出したくない思い出を耐えて、なんとか生きてゆくんだと思う。

でも、それでも、何かのまちがいのように、恩寵のように、
きれいな花びらひとつを、小鳥がはこんでくるようなこともあって、
そのひとつがあれば、一生しあわせだから、
どれほどたくさんの思い出したくない思い出が積み重なっても大丈夫です。

生きてみるといい。