ひぐらしの鳴くころ

向かいの森でひぐらしが鳴く。

 たからものを埋めた(ビー玉かもしれない)ひぐらしが鳴く緑の闇に /野樹かずみ

蝦名さんとの短歌両吟の最後は、野樹のこの歌だった。この歌で終わった。
次は蝦名さんの番で、次はもうないのだけれど、歌を待っている感覚だけが、続いている。

夏の日暮れは、ひぐらしの声を待つ。天の楽器が鳴り出すみたいよね。

昔、ビー玉というものがどこで作られるかも知らなかったころ(いまも知らないけど)、ビー玉は土のなかから出てくるものだった。よく見かけて拾ったような気もするし、見つけようとしても見つからないものでもあった。この世には、なんてきれいなものがあるのだろうと思って、もって帰るけれど、でもそれをどうしていいか、わからないんだった。

鹿に滅ぼされた畑に、ブルーベリーだけがたわたわ実って、毎日ブルーベリー摘みが日課。日ごろのキュウリや卵やあれこれの野菜のおすそ分けのお礼に、ご近所に配って歩く。

しかし、暑い。

マニラは28度らしい。そういえば、コロナ前は、毎年この時期はフィリピンにいた。日本にいるより涼しかったし。
コロナの間にいろんなことが変わってしまった。以前は6月から新学期だったから、この時期に訪問するのが、クラスの様子を把握するのにもちょうどよかったけど。今は8月末から新学期。
なので、準備しなければ。送金のこととか。
秋になったら、公民館での写真展とか、国際会議場のバザーとか。
暑さと湿気の混ざり具合が、ときどきフィリピンの匂いがして、洗剤の匂いが混ざると、パアラランの、週末のお洗濯の匂い、とか思って、なつかしくて、それから、レティ先生がもういないことを思い出して、胸が痛い。

さびしすぎる。

さて夏休み。昨日まで、解剖実習やら、プレゼンやら、試験やら、口頭試問やら、バイトもできないほど疲れていたらしい息子だが、今日から夏休み。青春18きっぷもって、九州うろうろしているらしい。いまごろ、どの空の下だか。
8日に宇和島で合流の予定なんだけど、台風が、心配。豊後水道をフェリーで渡れるか。盆前のこの時期、ホテルの予約変更なんてできない(キャンセルはできるけど)。

10年以上前かな、地球温暖化で、台風は数は減るけど、大型化する、と何かの本で読んだけど、本当にそんな感じ。

子どものころ、台風が近づいてくるときの風に背中を押されて歩くのが、すごく好きだったけど。

7月26日(蝦名さんの命日)東奥日報に『ニューヨークの唇』の書評。
ありがとうございます。

 

また生まれまた会うならば

全校の運動会に人が消えひとりで踊るオクラホマミキサー/蝦名泰洋
『ニューヨークの唇』

また生まれまた会うならばブランコで緯度と経度のない公園の/蝦名泰洋
クアドラプル プレイ』

昨日7月26日が命日。3回忌までに蝦名さんの歌集を出したいと思い、出せたこと、深い安堵です。ありがとうございます。

感謝しか、ない。横に死神いるのに、ぎりぎりまで、遊んでもらった。いつか作る蝦名さんの歌集の話をしてた、その歌集。

上京すると、あらわれてくれて、真夜中にコンビニ横で、缶コーヒーでおしゃべりしてくれる友だちだった。

会いたくなったら、歌集ひらくよ。そのために作ったと思う。

野極

まだ、信じられないのですが。黒岩康さんの訃報のこと。

蝦名泰洋さんの歌集『ニューヨークの唇』の支払いの請求書からは、黒岩さんの寄付の分が差し引かれていました。山中智恵子歌集のお仕事の原稿料を、そのまま蝦名さんの歌集のために寄付してくださったのでしょう。

お礼のメールが送れなくて、連絡つかなくて、胸騒ぎしていた矢先、2月に急逝されていたことを知ったのでした。
黒岩さんが、私や蝦名さんに、どんなによくしてくださったかということ、そして本当にお礼が言えないままになってしまったこと、悲しいし悲しいし、とほうにくれてしまいます。

2019年8月にお会いしたのが最後になりました。東京駅に向かう私を、電車が出るまで見送ってくださった。
上京して、連絡すると、よく私を町歩きに連れ出してくれたのでした。浅草寺界隈。上野周辺。何度かは蝦名さんも一緒だった。とても楽しかったです。
気安く甘えさせてもらっていたのでした。

黒岩さんが、私にどんなによくしてくださったかは、私が言わないと、きっと誰も知らない。フィリピンのゴミの山の学校の支援も、続けて下さっていたのでした。

 

一番最初は、私が歌集を出したとき(ということは2011年のはじめ)の批評会でお会いしたのだと思います。その前は、、と思い出して探しました。

古い貴重な同人誌を送っていただいたのでした。ブログを読んだから、と。2010年。

空蝉の薄き地獄に - 星ヶ丘ゆき (hatenadiary.jp)

この1月にも「合歓」を送っていただいたばかりでした。

黒岩さんの山中智恵子研究、この数回は「野極」という言葉に惹かれて、読んでいました。
論「山中智恵子研究(再論51)」の終わりの文を。

「最後に唐突ではあるが、智恵子による〈野極〉なる言葉の使用─その独自性について触れておけば、これは幕末から多くの志士たちが生きた〈草莽〉─その生き様を超える概念として智恵子が編み出した思想的拠点、その別称であるとだけ言っておこう」(合歓99号)

どうしよう、もう。

月を追う途中の子どもにあいさつを

  月を追う途中の子どもにあいさつをさよならみたいな青いハローを

蝦名泰洋さんの歌集『ニューヨークの唇』、完成しました。
Amazonでも発送はじまっています。クラファン協力いただいたみなさまへの発送も終えて、プロジェクトの完了報告もいたしました。

ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。
信じられないくらい、美しい本になりました。きっと長く読み継がれる歌集だと思います。
『ニューヨークの唇』蝦名泰洋|その他の歌集|短歌|書籍|書肆侃侃房 (kankanbou.com)

装丁の美しさに、指が震えるんですけれども。
表紙の絵は、田代勉さんの日本画で「蒼い木馬」というタイトル。
歌集のなかにも木馬の歌が何首かあると思います。一番最後の木馬はコロナ禍の。生涯の終わりに近く。

  休館こそ脈打つ好機かもしれぬ木馬が息を吹き返すための

 

たいていのことは、あとがきに書いたので。第一部「ニューヨークの唇」は亡くなる前に蝦名さんが自分で纏めた180首。第三部「イーハトーブ喪失」300首は1993年刊行の生前唯一の歌集の再録。

第二部「カムパネルラ」36首は、野樹の選歌、構成。もしかしたら幽霊の蝦名さんに駄目出しされるかもしれないけど、私のわがままで並べました。責めは私に。

両吟集『クアドラプル プレイ』(2021 書肆侃侃房)に収録の歌以外から、蝦名さんの死後に、ふしぎに耳にもどってきた歌たちを。こんなふうに歌つくってたなとか、謎だけど好きとか。慕わしい歌たちを。
だいたい2013年以降の歌を順番に置いていって、クアドラプル後の歌が多いと思うけれども、一番最後の、象の眼の歌は、1992年頃の、最初の頃の両吟の。
蝦名さんが生涯の最後に、亡くなる1か月前に書いた短い詩が、象の眼の星雲のことだったんです。

  象の眼はどこか遠くの星雲に似ているさきに告げるさよなら

 

野樹が歌人であるならば、野樹を歌人にしたのは蝦名さんです。たぶんそれは、この本をつくるためだったのかもしれないと思います。出会いも別れも、「短歌さん」が仕組んだ罠だったような気がします。

たくさんの方に応援いただきました。ありがとうございます。



  

消えることに一途な虹を

消えることに一途な虹を追いかけて慣れたもんだよさよならなんて (蝦名泰洋)                     「クアドラプル プレイ」

『ニューヨークの唇』校了日に、この歌を突然思い出して、この歌入れ忘れたかしらと、気になって、ああこれは「クアドラプル プレイ」に収録されているから、もとより入れていないのだと確認したり。
他人の、しかも死者の原稿を扱う難しさ、だったのか、私の至らなさのせいだったのか、校了日の夕方まで、修正のやりとり。出版社さんには丁寧に丁寧に応じていただきました。去年の今ごろ、歌集出さなくちゃ、と考えはじめて1年、ようやく形になります。心を尽くしました。「イーハトーブ喪失」の再録もできてよかった。装丁も美しいです。

蝦名泰洋さんの歌集、今ごろ印刷されて製本されている頃です。
クラファン協力いただいたみなさま、本当にありがとうございます。いましばらくお待ちください。

予約の受付もはじまっています。500首以上収録していますが、比較的お求めやすい価格にしてもらっていると思います。若い人たちに読んでほしいです。

『ニューヨークの唇』蝦名泰洋|その他の歌集|短歌|書籍|書肆侃侃房 (kankanbou.com)

よろしくお願いします。

六月の庭

6月の庭。ぐみの実がなってた。郷里では、ぐゆみ、って言ってた。今日のおやつ。

以前に某海外ボランティアの支援をしていた人から、もらったまま、行き場を失っている文房具があるという連絡をもらった。その活動はすでに終えているので、送れなかった物品だけが、残っているという。

さて。私は、本やDVDをお金に換えて寄付してもらう仕組みの、古本募金はやっているが、古い文房具は行き場がない。私も、本当はお金しか要らない。

お金しかいらない、と私はずっと言ってきて、それで、善意の人を怒らせたりもしてきたんだけど。

近いので取りに行く。ご主人が施設に入ってしまって、老婦人だけが、捨てられない荷物といる光景を思うと、少しでも役に立てる方法を考えようかと。

で、荷物を見て、胸がいたんだことでした。文房具屋の店じまいで貰ったらしいのだけれど、小学生のノートや文具、あまりに古すぎるし、汚れすぎてるし。それでも、フィリピンの山の中の、貧困地域では役に立つこともあったんだろうか? 

こんなものを海外に送るために、ばかにならない輸送費のために、助成金の申請をし(さいわい貰えたから何年も続けられたのだろうが)、もったいない運動と称して、あちこちの学校でお話をし、卒業生たちの上履きも集め、洗って送って、という活動をずっと続けてきたのかと、その心労と愚直な努力を思ったら、たまらない感じがした。

活動をはじめた中心者が、現地を去って日本に戻ったので、終わった、らしい。
事業の頓挫は仕方ないかもしれないと思うの、いつかは終わることだと思うの。時と場所と人と、それぞれの限界もあると思うの。でも数年間、生活も含めて、どれだけ、この人たちが活動を支えたかを思ったら、、、

一晩かけて、段ボール二箱分、一冊ずつ一個ずつ、除菌シートで拭いた。鼻の奥まで埃っぽい。私死ぬまで、ノートと三角定規には困らないと思う。

かんじのおけいこ、とか、日記帳、とか、理科、とか。漢字のおけいこしようかな。日記、30年ぶりくらいに書くかな。もし長く生きのびたら、孫のノートのお下がりに、その日のことをいろいろ書きつけているような、小さなお婆さんになろう。

6月13日。レティ先生の誕生日。生きていたら81歳。SNSに、家族や友人たちがUPするレティ先生の写真が流れてきてる。フィリピン行きたいんだけど、レティ先生がいないと思うと、つらくて、まだ訪問を考えられない。

敬愛できる人に出会えた分だけ、人生の幸せと思う。


太宰治の入水心中の日でもあるらしく。(桜桃忌は遺体の見つかった19日)
折しも昨夜、息子が電話で、太宰の言葉を教えてくれる。
「学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ」(正義と微笑)
たぶん、ツイッターあたりで拾ったのだろうが。
試験の成績がよろしくないの報告との取り合わせとしては、いいんじゃないのかな。
優等生が勉強するのはあたりまえだけど、劣等生が勉強するのはかっこええと思うで、と励ましておく。ノートいっぱいあるし、低空飛行がんばって。

 

 

薔薇が咲いた

薔薇が咲いた。庭の蔓薔薇。車庫の上に咲くから、地上からはなかなか見えないけど。

薔薇のつぼみの塩漬けがうまいと教えてくれたのは近所のおじいさんだったけど、自殺してしまった。株で。あんたは儲けられないからやめておけ、とあれほど言ったのに、とパパが悔しがってた。もう15年くらい前なのかな。

別の人は、やはり株で退職金失ったとき、統合失調症を発症した。

そう考えると、私の兄が、たぶん賭け事で、人生何度も何もかも失いながら、ちゃんと?生き抜いてるのは奇跡かも。その昔、1960年代後半、証券会社、というところに兄は就職したのだ。人生の最初の躓きだった。あとは、笑いたくなるほど、躓きっぱなし。

でも私が、精神が危なかったとき、ふと、借金取りに追われて、職場のトイレの窓から逃げ出したという兄の姿を思った。私が見たわけではなく、人が母に知らせていたのを聞いたのをそのとき思い出したんだけど、なんか心強かった。

だから、どんなにぶざまでもみじめでも、人間は生きるべきだと思う。どっかでだれかを励まさないとも限らないし、と、トイレの窓から逃げ出す兄が。ちょっと感謝してる。

言わないけどね、本人にはね。

薔薇食べるとき、自殺したおじいさん思い出す。いいおじいさんだったよ。いつも畑で採れた野菜を、うちの玄関が埋まるほど、持ってきてくれた。こういう人をカモにしながら回る世界🌍🌎くるくる。

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5月が終わりますね。

パアラランのニュースレター発送しました。コロナ禍の学校閉鎖が終わって、去年から教室に子どもたちが戻っています。

https://paaralang.hatenadiary.com/entry/2021/11/19/232243(ブログもホームページも更新出来てない、😅)

レティ先生のこと思い出したり、訃報の届いた先輩や友だちの名前消してたら、突然かなしかったり。でも、涙の谷を越えてゆく。

気にかけてくださるみなさま、ありがとうございます。希望の方、ニュースレター送ります。

新学期は8月からです。

(銀行振込みしてくださった方で、ニュースレター届いてない方、連絡先がわかりません。差し支えなければ、お知らせください。)

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蝦名泰洋歌集『ニューヨークの唇』、まもなく完成の運びです。原稿を見るたびに鎖骨が痛かったのは、悲しかったからかもしれないです。

とにかく、歌を残すことができます。私は、課せられた宿題をひとつ、終えることが出来る。

ありがとうございます。

待っててくださる方、もう少し、待っててください。