返還の朝

 
 「今日沖縄が日本に返還されました」とその日の朝、教室に入ってきた担任の教師が言った。5月15日の朝だ。年のいった男の先生で、その後、何度か戦争の頃の話もしてくれたが (絨毯爆撃、という言葉もその先生から聞いた) その朝はずっと、沖縄の話だった。
 先生は、いつものようにおだやかだけれど、何か大切なことを話している、という顔をしていたので、一生懸命聞いていた記憶がある。でもそのとき、私たちはまだ9歳ほどで、沖縄がどこにあるかも知らない、何もかもはじめて聞く話で、きっと理解が追いつかなかったのだ。おぼえているのは、沖縄ではアメリカみたいに車が道路の右側を走っている、という話。アメリカやほかの国では車が右側を走っていることも、そのときはじめて知った。日本に返還されたから、沖縄でも、車はこれから左側を走ることになる、と先生は言った。でも急にいままでと反対になったら、たくさん事故が起きるんじゃないだろうかと、心配になったのをおぼえている。

 その頃知っていたのは、自分が暮らしている町と県の名前、行ったことはないけれど、汽車に乗って行けば行けるはずの隣の県の名前、国道をずっと行けばたどりつくはずのもうひとつの隣の県の名前、それから同じ四国にあるけれど、ここからは一番遠い4つ目の県の名前。9歳の私が理解していた「くに」とはたぶん、せいぜいが四国の範囲で、それ以外は、東京や大阪という地名こそは知っていても、日本も外国も海の向こうの遠いところにかわりなかった。そういえばあの頃、家にはテレビもなかったから、映像で見るということも、なかったのだ。

 遠い「海外」の話が、私たちに関係がある (どんな関係があるのかわからないが、とにかく何か関係がある) ということを、最初に教えてくれたのは、あの朝の先生の表情だったかもしれない。

 車で出かけて、信号の度に子どもが「あか、とまれ、あお、すすめ」というのを聞きながら、車が道の右側を走る国があると、はじめて知ったあの朝のことを思い出した。
 沖縄にはまだ一度も行ったことがない。