娘時代


 はじめて入ってみた古本屋。住宅地や畑や工場がまとまりなく雑然とあるような地域に、大きな倉庫に見えたのが、古本屋で、入ってみると、半分はまんがとDVD。4分の一がふつうの本と雑誌、CDとレコード、残り4分の1が衣類と未整理のダンボールの山、といった具合。最近の古本屋にめずらしく、たいへん汚かった。店を出ると手が真っ黒になっていて、そのためなのか、店の外に水道がついている。そういえばむかしは、古本屋に行くと手が汚れたものだったと、なつかしかった。

 むかし、古本屋というのは汚かった。私が好きだった古本屋はそうだった。床から天井まで、あれもこれも雑多につみあげられていて、本の値段もいいかげん。古びた本は例外なく安く、初版絶版だからと高い値をつけたりはしなかった。あれこれ思いがけないものと出会えるのが楽しかった。
 古本屋がきれいになって、その分だけ楽しみが減ったような気がしている。もちろん必要だから利用はするのだが、昔のように埃まみれになりながら、本の山をかきわけて、何か面白そうなものはないかと、探す楽しみがない。

 昨日の倉庫ふう古本屋は、あんまり子どもを連れて行きたい場所ではないが、まあまあ楽しかった。本に書いてある値段 (それだってじゅうぶん安かったが) からさらに二割ぐらい値引きしてくれたのもうれしい。 買った本。

『スペインの遺書』ケストラー  『娘時代』ボーヴォワール ほか数冊。
あとは子どもの本。でも半ば以上、私のたのしみ。「ミッケ」が2冊など。

 『娘時代』は思わず抱きしめた。20歳の頃にやっぱり古本屋で買って読んだ。その後人に貸したら返ってこなくなった本。それが、私がもっていたのよりもっときれいな本になってもどってきた。

 むかしノートに抜き書きしたフレーズ。

 「私の内の何かが、ある日、すいかづらの香りと通じるだろう」(ボーヴォワール『娘時代』)

 「突然、すべてが口をつぐんだ。何という静寂さだろう! 地球は広大な空間の中を回転していた。盲目の天空の中で私はただひとりだった。ただひとり。はじめて私はこの言葉の恐ろしい意味を知った。」(ボーヴォワール『娘時代』)