黒い傘の下で

 『黒い傘の下で──日本植民地に生きた韓国人の声』(ヒルディ・カン著 桑畑優香訳) 読了。日本の植民地時代を経験したアメリカ在住の韓国人51人の聞き書きをまとめたもの。日本植民地下で、人々がどのように暮らしたか、が具体的に語られていて、とても興味深かった。貧困や、警察の横暴、政治犯として逮捕・拷問された話もあって、それはまぎれもなく、植民地下での、人生に食い込んだ時代の不幸を語る声なのだが、読後感は意外に清々しい。きっとそれは、時代の不幸に関わらず、懸命に生きていく人間の姿がそこにあるからなのだろう。未来志向と言葉にするまでもなく、人は前を向いて生きるものなのだと思った。
 「歴史は、表面的な統計ではなく、力強い出来事の数々を生きてきた人々の、恐怖や憎悪、ときにユーモアや思いやりもこもった肉声によって受け継がれるべきだと信じます」(著者のメッセージ)
 人々の肉声を通しての歴史を受け継ぐこと、そこに不幸な歴史を乗り越える契機もあるように思った。
 
 読みながら、学生の頃、夢中で読んだ金史良(キムサリャン)の作品のことを思い出した。日本に留学して日本語で小説を書き、『光の中に』という作品は、芥川賞候補作にもなった。(『光の中に』は文庫で出ているようだ)。大好きな作品だった。後に帰国し、朝鮮戦争で戦死、と伝えられている。 
 学生の頃、彼の作品に私が読み取ったのは、虐げられる側の人間が、虐げる側の論理を内面化するとき、どんなふうに自分を破滅させてしまうか、というような理屈っぽいことだったが、あるとき、昭和一桁生まれの在日韓国人二世の知人に本を貸して、その人の夫は一世で戦後日本に来た人で、そのころ癌で闘病中であったのだけれど、私が貸していた金史良の本を、子どもの頃の韓国のことが書かれてあってなつかしいと、喜んで病床で読んでいたのだと、ご主人の亡くなったあとに聞いたことなど、思い出す。
 小説を書きはじめた頃の金史良のエッセーに、「朝鮮の現実を忠実に書いてみたい」という言葉があった。