正月、金起林を読んでいた。
「朝鮮文学の知性 金起林」青柳優子編訳。新幹社。
最初の、「海と蝶」の詩は、どこかで読んだ記憶がある。
「誰も彼に水深を教えたことがないので
白い蝶は海がすこしも怖くない
青い大根畑とおもって飛んでいったが
いたいけな羽は波に濡れ
姫君のように疲れ果ててもどってくる
三月の海は花が咲かずやるせない
蝶の腰に真っ青な三日月が凍みる」
1939年
それから、「詩論」という詩。これははじめて。驚いた。
「──皆さん──
こちらは発達した活字の最後の階段であります
単語の屍体をかついで
日本の朝会の
漂白した顔の上に
ひっくりかえって
あえいでいる活字──
「ヘビ」を手術した
白色 無記号文字の骸骨の群れ──
歴史の胸にぶらさげられて
死にゆく 断末魔
詩の真っ青な唇を
息の根を止めてやる「休止符」はないのか?」
(以下略) 1931年
1930年代~45年まで、近代と、未来を求めて、海を渡らなければならなかった朝鮮青年たちの姿を、日本の文学はどんなふうに記憶しているのだろう、あるいはしていないのだろう。李箱や金起林たちの姿を、見たんだろうか。見なかったんだろうか。見るつもりがなかったか。尹東柱は殺された。金史良の小説は、芥川賞候補になったけれど、そこに描かれた苦悩を、だれかわかちあったろうか。
私たちが、日本の近代文学はこんなものだと、教科書で教えられてきた文学との、手触りの違い。見えている世界の違い。同じ時代に、同じ日本(あるいは日本とされた土地)にあって。
「朝鮮文学の知性 金起林」青柳優子編訳。新幹社。
最初の、「海と蝶」の詩は、どこかで読んだ記憶がある。
「誰も彼に水深を教えたことがないので
白い蝶は海がすこしも怖くない
青い大根畑とおもって飛んでいったが
いたいけな羽は波に濡れ
姫君のように疲れ果ててもどってくる
三月の海は花が咲かずやるせない
蝶の腰に真っ青な三日月が凍みる」
1939年
それから、「詩論」という詩。これははじめて。驚いた。
「──皆さん──
こちらは発達した活字の最後の階段であります
単語の屍体をかついで
日本の朝会の
漂白した顔の上に
ひっくりかえって
あえいでいる活字──
「ヘビ」を手術した
白色 無記号文字の骸骨の群れ──
歴史の胸にぶらさげられて
死にゆく 断末魔
詩の真っ青な唇を
息の根を止めてやる「休止符」はないのか?」
(以下略) 1931年
1930年代~45年まで、近代と、未来を求めて、海を渡らなければならなかった朝鮮青年たちの姿を、日本の文学はどんなふうに記憶しているのだろう、あるいはしていないのだろう。李箱や金起林たちの姿を、見たんだろうか。見なかったんだろうか。見るつもりがなかったか。尹東柱は殺された。金史良の小説は、芥川賞候補になったけれど、そこに描かれた苦悩を、だれかわかちあったろうか。
私たちが、日本の近代文学はこんなものだと、教科書で教えられてきた文学との、手触りの違い。見えている世界の違い。同じ時代に、同じ日本(あるいは日本とされた土地)にあって。