とうもころし

 数日前だが、スーパーで買い物をしていたとき、子どもが、とうもろこしを見つけて、「とうもころし!」と叫んだら、見知らぬおばさんに、「ぼくもう一度、言ってごらん」と言われて、子ども、とまどっていた。「とうもころし」は、となりのトトロのめいちゃんが、そう言うのです。私も、子どもってそんなもんだろうと思って訂正せずにいた。
 おばさんが、「とうもろ」まで言ってくれたので、子どもはそのあと「こし!」と元気よく言っていた。
 
 とうもろこしを買わないか、という電話がしきりに入ったのは、1月くらいかな、アメリカのブッシュ大統領が、演説で、石油のかわりに、とうもろこしを使おうと言ったころ。どこからどう名簿が流れたのか、この貧乏一家に向かって、金(きん)を買わないか、としきりに言ってきていたところが、今度は、とうもろこしがあがります、と投資の話をもちかけてきたのだった。金(かね)はないので、まさか借金して投資するのもおそろしく、毎回断り、断りつづけていたが、とうもろこしを買わないかと言ってきたときには、たとえ金(かね)があったって、そんなことはしてはいけないし、それで儲けようなんて犯罪だ、と思った。
 とうもろこしを主食とする人々がいるのである。しかも貧しい地域の人々の主食である。そのとうもろこしの値段があがったら、その人たちを苦しめることになるのではないか、そんなことに荷担するなんてとんでもない、と思ったのだ。
 
 実際それから半年の間に、とうもろこしは高騰し、メキシコでは主食のタコスが高くなり、貧しい人々を困らせているという。
 子どもが「とうもろこし」を「とうもころし」と言う度に、そのことを思う。金持ちたちがもっと儲けようとして、貧しい人たちを、「とうもころし」てゆくんだろうなと思う。
 
 「絶対にこれは儲かるし、いい話です」と何度も言ってきていた、なんとかさん、名前忘れた、とうもろこしを断って以来、ぴたりと連絡がない。
 それを「いい話」と思ったら、人間としておかしくなってしまいそうな気がする。
 とうもころすのも、とうもころされるのも、かんべんしてほしいなと思う。