てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。

安西冬衛の「春」という詩。詩集『軍艦茉莉』(昭和4年)所収。
日本のモダニズム詩の代表作、とされている。
『<酔いどれ船>の青春』(川村湊)の「東京で死んだ男──モダニスト李箱の詩」の章で、触れられているのだが、この蝶は、日本から大陸へ向かって飛んでいったのか。それとも、大陸から日本へ向かったのか。

日本のモダニズム詩の流れをつくった「詩と詩論」の前に、北川冬彦安西冬衛らによって、「亜」という同人誌が、当時彼らが住んでいた、植民地下の満州、大連でつくられていたのだという。知らなかった。

ということは、蝶は大陸から日本へ渡ってきたのだ。植民地の子どもたちの手から飛ばされて。

ということは、日本のモダニズム詩の運動を考えるとき、頭のなかには、現在の日本地図ではなく、当時の日本とその周辺の地図を広げておかなければならないはずだ。でもそんなこと、学校では習わなかったし、近代日本文学を考えるのに、植民地を考える必要があるということは、なおざりにされているんじゃないだろうか。

短歌とモダニズムはどうだったのだろう、とふと思うが、
湿潤な短歌的抒情を切り捨てて、モダニズム詩は成立した。大陸へ渡った、あるいは大陸で育った若者たちによって、それが可能になった。
ということなので、この本からはわからない。

外地には、内地の論理や感受性に回収され得ない感受性があったということは言えそうな気がする。

昔、叔父が、ゴミ捨て場で拾った昭和4年の地図が手もとにある。大連って、どこだ、と今ごろまた探している自分が情けなかったりする。何度覚えても忘れるのだ。