「真夜中のトロリーバス」

風邪らしい。熱っぽくて体じゅう痛いので、昨日の昼間ずっと寝ていた。
幼稚園から帰ってきたちびが、私が寝ている布団のまわりで遊んでいたが、いつのまにか私の上にのっかって寝ていて、重くて目がさめた。

それでまた寝ようと思って、布団にもどったら、布団つめたい。
ちびさん、おねしょしていた。右の布団と左の布団の間くらいで寝ていたらしく、右の布団も左の布団もすきまのカーペットも、ぜーんぶ濡れていた。ひーん。
それで、客用の布団で寝たら、数年前に義母が買ってくれていたのだが、この布団、気持ちがいい。ずーっと使おうかな。

ブラート・オクジャワというソ連時代の吟遊詩人の歌を久しぶりに聴いた。
「真夜中のトロリーバス
 
沈む想いに克てそうにないとき、
絶望に襲われそうになるとき、
ぼくは青いトロリーバスに飛び乗るのだ、終バスに、
偶然のバスに。
(略)
何度もぼくは、悲しみから救われた、
ただ、肩を触れあうだけで……
沈黙の中には、なんと善意が満ちているのだ、
沈黙の中には。
(略)


日本で、バスに乗って救われる気分になったことはないが、(バスに乗ってからバス代がないのに気づいて、隣の乗客が出してくれたり、運転手さんがスルーしてくれたり、助けてもらったことは何度もあるが)
フィリピンで、夜のバスに乗るとそんな気持ちになった。ジプニー(乗合ジープ)ではもっと、そんな気持ちになった。夜、街から帰ってきて、ジプニーを待つ長い列に並ぶのが好きだった。20人ほどひしめいて乗るジプニーの片隅で、黙ってすわっているのが好きだった。

いつだったか、パヤタスの学校の先生と数人の子どもたちと、一緒にショッピングモールに遊びに行った。あめ玉以外、何にも買わなかったが、たぶん何より冷房がきいているのがうれしかった。帰り、どしゃぶりの雨になっていたので、奮発してタクシーを拾ったが、途中で降ろされてしまった。ゴミ山のほうへ行くのはいやだという。それで、私たちはずぶぬれになって、ジプニーを待った。ジプニーに乗りこんだ人たちみんなずぶ濡れで、魚みたいだった。水滴が、ライトにきらきらしていて、知っている人も知らない人も、いたわりあうみたいに、目をあわせてほほ笑んだ。