今日の天気

「カカーヤ セヴォードニヤ パゴーダ」
今日の天気はどうですか。

たったひとつ覚えているロシア語。あとはぜーんぶ忘れた。どうしてこんなに忘れられるのか不思議なほど忘れてしまった。

「ママ、きょうのてんきは?」というのが、最近のちびさんの目覚めの第一声。ごはんより先に新聞のお天気のところを見る。
広島だけでなく、那覇から札幌まで全部見る。漢字の地名も読める。こないだ、療育の診察に行った日は、那覇が晴れで、札幌が雪、ほかが曇りだった。なぜそれを覚えているかというと、ちびさんが、ドクターにそう言って挨拶したので。

「カカーヤ セヴォードニヤ パゴーダ」
というロシア語を教えてくれた教授は、車に轢き逃げされて亡くなった。まだ40歳の若さだった。ロシア語はもうアルファベットも覚えていないが、会ったこともない教授のふたりの娘の名前はまだ覚えている。
人間の記憶って、へんだ。

全然勉強しなかったのに、講義に出ると、出ただけで喜んでくれて、授業のはじめにコーヒー出してくれて、途中で煙草吸ってもよくて、興がのると、ロシア語の歌も歌ってくれた。テキストの単語を全部教えてくれて、なんとか並べ替えて訳すと、あなたは勘がいいね、と、それだけで単位Aをくれた。
学生のころなんて、毎晩のバイトとか、人間関係のわからなさとか、いろんなことでくたびれて、泣きだしたいか、叫び出したいか、だいたい勉強どころでなかったのだが、誰かにコーヒーを入れてもらえる、というのは、コーヒーを入れてくれる先生がいるというのは、なんだか心のあたたかくなることだった。
今の私よりずっと若かったのか。

で、今日は広島は晴れ。掃除しよ。
しばらくさぼってるから、家のなかすごいことになってる。