へんなビール

どう、書き出せばいいのか。

夜、電話が鳴る。近所のKさんが亡くなった、という知らせ。
おばさんのほうが、数年前に死ぬかもしれない大病をして、入退院を繰り返していたが、奇跡的によくなって、最近は家のなかで動いたり庭に出ることはできるようになったというので、喜んだばかりだったのに、なぜ、と思ったら、亡くなったのは、おばさんではなくて、おじさんのほうだった。
「えええっ」と電話を受けたパパがものすごい声をあげ、それから絶句した。

親しくしていた65歳か70歳のおじさんで、パパは、こないだも一緒に飲んだばかりじゃないか。
やはり近所の親しい別のおじさん(昔船乗りで、でも長いこと陸で働いていたが、リストラになったあと50代でまた船に乗るようになった)が、久しぶりに陸にあがってきたから、3人で一緒に飲もうと、電話がかかってきたのだった。

農業学校を出たKさんは畑仕事が上手だった。畑でとれた作物をいつもいろいろ分けてくれた。たくさん採れたといって、玄関がうまるほどの夏野菜をくれたのは何年前だったか。
ほんの10日ほど前にも、山ほどのなすびと、たかなをくれて、漬物にしたたかなと、なすびのみそ炒めは、今日の夕食のテーブルにものっていた。

会うといつも朗らかで、やさしくて、体も元気で、奥さんの介護もし、ひとり娘が男の子二人連れて戻ってきたので、その男の子たちの父親変わりもしていた。

町内会長に呼び出されて行って、帰ってきたパパは、沈鬱な表情だった。「午後、救急車とパトカーが来ていたらしいよ」

ビールに農薬を混ぜて飲んだらしい。納屋で倒れていて、救急車が来たときはもう、こと切れていた。

「だから、株はやめたほうがいいと、何回も言ったんだ。何年も前から。何回も。あの人、儲けられないんだから。」

借金もして株につぎ込んでいたらしい。それが軒並み下がった。退職後もずっと仕事には恵まれていたが、それもこの四月からはなくなっていた。そんな愚痴をパパはきいていた。(でも、それで悩んでいるなんて思えないような明るい話しかただったんだ)

もちろん、ほんとうの理由なんてわからないけれど。

人のいい、とても楽天的な、明るい、気持ちのいいおじさんだったよ。
昔はわしも船乗りだった。結婚して子どももできたから陸に上がった。でも陸の仕事もなくなったから、わしもまた船乗りになろうか、と言っていた。

噂を聞きつけた町内の人から電話がかかってくる。
「ええ、急なことで、詳しいことはよくわからないんですけれども、お通夜は明日の6時から、お葬式は明後日の朝10時から。場所は……。よろしくお願いします。」

親しい人からの電話にパパは言っている。「死んだらつまらん。どんなになっても、粘って粘って粘って生きるべきよ。」

それから私に言った。「こうしてみると、おまえの兄ちゃん、生きとるだけですごいな」
はい、それは私もそう思う。彼は株はやらなかったと思うが、まあ、いろいろやって、すってんてんになっているのだ。もうこれで人生何度目のすってんてんか。その度に、本人もまわりも、ちょっとした地獄の住人になる。

甥っ子が、いまどこでどうしているか知らないけれど、もしもいつか会うことがあったら言おう。きみのお父さんは、ほんとにろくでなしだけれど、どれだけ人に罵られても、憎まれても、蔑まれても、侮られても、ばかにされても、ほんとうにばかでも、めちゃくちゃ迷惑かけながら、あきれられながら、恥をさらしながら、でも生きつづけているよ。ふしぎに朗らかに。それは、すごいことだよ。(あ、でも、お父さんにお金を貸してはだめ。あげるのなら、いいけど。)

生き恥をさらすな、なんて言葉が、どうしてあるのか。
生きていて、さらせるものなんか、恥しかないや。

人に迷惑かけるな、なんて言うな。
かけてごめんなさいでいいよ。ゆるしてもらえてももらえなくても。

誰に迷惑かけたって、恥さらしな老人になったって、よかったのだ。
へんなビールなんか飲まずに。

うちのつる薔薇を見て、薔薇のつぼみは、天ぷらにしたり塩づけにして食べるとおいしいと教えてくれたのだった。死んだ母親がそれが好きだったと言った。Kさんのこと、薔薇を食べる度に、思い出すだろう。照れくさそうな、ふわっとした笑顔を。

ご冥福を祈ります。