娯楽室

日曜の朝、雪。
おじさんが亡くなったので、とにかく老人ホームに行こうと、支度をしていたら、長女さんから電話。
ホームの慣習では、生活保護での入所者さんは、通夜は近くのお寺さんに来てもらってホームでやって、翌日の葬儀はお寺さんのほうでしてもらう、ことになっているらしい。でも宗派がちがう。どうしよう。
それ以外のことはできないって。するんなら、自分で斎場をとるなり全部手配しなきゃいけない。だけど地縁も血縁もない異郷の老人ホームでの死である。家族のほかに参列者もいないのに。
ホームの慣習でもいいんじゃないの、と妹は言い、そんなわけにいかない、と姉は思った。
思いがけない問題に直面した喪主の長女さん、葛藤の後、お寺さんを断った。先月母親が亡くなってから、子どものころに習い覚えた勤行を、49日まではと思ってつづけている。違うお経で、父親は送ることはやっぱりいやだ。それで、私がお経読むし、自分たちでやりますから、って言ったら、ホームのほうもそれでいいということになって、遺体も出棺まで置かせてもらえることになった。

午後、老人ホームに着いて、Fさんのご遺族はどちらでしょう、と受付できいたら、二階の仏間ですよ、と言う。それで二階に行くが、二階に仏間はない。へんだなあと思いながら、スタッフの人にきいたら、あの部屋ですよ、と教えてもらった部屋には、娯楽室、の札がある。
娯楽室。……ちょっとめまい。

娘たち孫たちと、おばさんの葬儀以来ほんの一ヶ月ぶりの再会。棺のなかには、老人の死者がいて、でもそれが、生前のおじさんの姿とうまく結びつかない。食べられなくなってずいぶん痩せたらしい。前日の午後、高校生の孫娘に会ったのをとても喜んでいたが、がんばって、って孫娘が言ったら、首を横に振った。もうがんばらないって言ったのかな。そのときはまだ大丈夫そうだったのに、夜、亡くなった。お母さんが死んだことは誰も言わなかったけど、知っていたかもしれないね。

娯楽室。部屋の半分は畳敷きで、仏壇もあり、お通夜の道具もひととおりあり、引き取り手がいないか来ないか、遺骨もいくつか、棚に積まれている。
ここで、私たちはこれから、自分たちで、お通夜とお葬式をする。ホームの仏壇は閉じて、かわりにおばさんの形見の小さなご本尊を置いた。
花瓶には菊が挿してある。お供えはバナナといちごとポテトチップス。やがて写真ができてくる。
自分たちでやるとなると、緊張する必要もない。一ヶ月前にやったばっかりで、やり方も覚えている。あとは時間を待つばかり。

耐えられないのは私の子ども。もう帰りたい、と畳の上をころがりまわる。お葬式はこういうものだよ、待つのが仕事だよ、とパパがたしなめる。

模擬試験のあとやってくるはずの孫娘は、たいへんな方向音痴らしく、電車を乗り間違って、すごろくみたい、3つすすんで2つさがる、もとにもどって乗りなおす、と苦労しながらたどりついた。

娯楽室。長女一家、次女一家と私たち一家の10人が揃う。入所者のお婆さんたちも何人かやってきて、後ろのソファーにすわる。おじさんがここでどんなふうだったか、おじさんもう話せなくなっていたから、どんなしぐさをする人だったかを話している。じいさんはここでどんな男だったの、惚れたり惚れられたりはなかったの、って次女の夫がおばあさんたちをからかうと、男はもうこりごりよ、とふいに真面目な声でお婆さんが答えたのがおかしくて、笑ってしまった。

娯楽室。今日はいつもと違うねえ、お寺さん来んし、赤い本も配らんねえ、と口々に言いながら、でもパパの坊主頭に説得されている。散髪も行ってきたんだが、袈裟を着ていないだけの、僧侶といった風情なのだ。勤行の導師も当然することになる。
おばちゃんの葬儀のときと同じ、子どものころからの馴染んだやり方でできるので、娘たちも私もほっとしている。孫たちもひととおり教えられているので唱和できる。はじめて見たけど可動式の焼香台。人は動かずに(お婆さんたち動けないし)焼香台が移動する。畳のほうでは人の手から手へ渡す。

勤行のあと、釈尊在世は、葬儀は、僧侶ではなく在家がしたのですよ、親しい人たちで送っていいのです、これならお金もいらないし、いいでしょう、とパパが言うのを、お婆さんたちが、なんだかありがたそうにうなずきながらきいている、そのしぐさが、ものすごくかわいらしい。

こういう景色をどこかで知っている気がして、あとになって思い出した。中上健次の小説に出てくる。レイニョさんだっけ、路地のあやしげなお坊さん。あれとすっかり同じだなあ。お金のない路地の人たちのためにお経をあげるレイニョさん。お経がずいぶん短かったのは、しばらくお婆さんたちの語りぐさになるだろう。ほんの15分で終わった。お寺さんのときは40分ぐらいかかるのに。

無理だよ、ってパパが言った。線香の煙がつらくてつらくて。焼香のときだけでもつらいのに、それがなんだってわざわざ線香の前にすわって。

家に帰ると8時過ぎ。それからごはんでお風呂で、子どもは宿題。週末なので作文の宿題。みると「今日はお葬式でした」と書いている。お葬式じゃなくてお通夜だよ。子ども、書き直す。
まちくたびれて、「ぼくはもう帰りたい」と思いました。
誰が亡くなったかを書かなくちゃ。お母さんがとてもお世話になった人だよ、きみもとてもかわいがってもらったよ。
私が口を出すと、「ぼくは自分が思ったことを書くんだ」と言う。もちろんそれでいいけど。
お通夜は長いんだなあと思いました。……ほかに書くことないの。
もうないよ。……あるよ。おじいちゃんいなくなって、さびしくなるなあとか、おじいちゃん、死んでも元気でね、とか。

ああ、死んでも元気でね、はないか。でも、あってもいい気がする。あってほしいな。死んでも元気でね。



娯楽室。
昔、私たちは幼なじみだった。隣同士に、というかベニア板で仕切っただけの一軒の家に住んでいて、一緒に遊んだ。おままごとからはじまって、先生ごっこ、忍者ごっこ。たまたま私が少し年上だったから、おばさんは私に言った。忍者ごっこなんてしてないで、もうすこしましなことして遊んだらどう。そう言われると、おもしろかった忍者ごっこが、とても幼い遊びのようでふと恥ずかしかったけど、それでやめるのもしゃくなので、むきになってつづけたりした。
あの幼なじみたちと娯楽室にいて、ふと、そのころの遊びのつづきをしているような気がした。ホームの娯楽室を占拠して、お葬式ごっこ。火葬許可証を役所に取りに行った姉が、いつまでも帰ってこない、それがないと次の段取りがきめられない、と妹が怒っていたり、私は坊さんの役をする人を連れてくる係だったり、そんなふうに私たちが遊んでいるのを、おじさんとおばさんが、眺めている。

……笑い話を見つけたみたいに、パパを相手に喋りはじめたんだけど、途中で涙がとまらなくなった。