骨のゆくえ

死んだおじさんは、私の父の兄たちと幼なじみだった。近所に住んでいたのだ。若いころの祖母がどんなだったかも覚えていて話してくれた。
父に電話すると、
「わしが死んだときはどうなるんやろ、腐るまでほうっとかれるんじゃないか」というようなことを言う。
あり得る。歩いて10分ぐらいのところに叔父たちもいるが、一年に数回も顔をあわさない。私たちも一年に一度帰省するだけだ。
「もし死んだら、電話ちょうだい。腐る前に回収にいってあげるけん」
笑い出す。「わかったい、死んだら電話するけん、取りにこいや」



月曜の朝も雪。
お昼前に老人ホームに着く。前日はつらかったホームの独特のにおいも、すこし平気になった。娯楽室はお線香のにおい。長女さん一家が、泊まったらしい。
次女さん一家も来て、告別式。ちょうどお昼の食事の時間なので、参列者はすくないと思いますが、ということでしたが、スタッフの人たちが来てくださる。
出棺まで1時間あるので、読経が短すぎてもいけない。ついでに初七日の法要もすませることにして、読経は2回リフレイン。
弔電もある。
前夜、老人ホームに入る前におばさんと一緒に住んでいた地域の、知人のつてをたどって、ふたりを知っていて、おばさんの葬儀に来てくれた人に連絡した。明日老人ホームでお葬式なので、電報ください。
弔電の紹介、喪主挨拶。30分で終わって、棺のなかに、菊の花、弔電も、お供えの果物とポテトチップスいれたところで、ちょうど車も、はやめにやってきた。
死んだら、もう引き返せない。
元気だして、火葬場まで行くよ、おじさん。

おじさんとおばさんが、広島で死んだことに、たぶん私はすこし責任がある。私が高校を卒業して広島に出て来たのをきっかけのように、娘たちも進学就職で広島に出てきた。それで、あとになって親たちも呼び寄せた。
こっちに呼んでよかったと思ってる。福祉も医療も、田舎とは全然ちがう。
と次女さん。
私も、ふたりの骨を拾うまでつきあわせてもらってよかった。
遺骨は、長女さんが持って帰った。

ふたりが死んで、ぽっかり消えた時空のことは、またゆっくり考えよう。



帰ってから、もう一度父に電話する。娘たちはそっちの親族には連絡しないから、もしお父さんのほうで知ってる人があれば、してあげて。
それでお墓はどうするのか、と父が聞く。
おばさんは、次女さん一家が広島でお墓を買ったので、そこに入る。おじさんはわからない。散骨してくれ、と言っていたらしいから、長女さんは散骨の仕方を調べたりしている。
「男はそういうことを言いたがる」と父。本心かどうかはわからんぞ。

田舎の先祖代々の墓には、入れてくれとたのまれているわけでもないし、入れるとなったら、お父さんの不義理についていやみをいわれるのは私だからいやだ、と長女さんは言っている。

おじいちゃんは本当はおばあちゃんと一緒がいいんじゃないの、一緒のお墓でいいんじゃないの、という意見もあるが、おばあちゃんのほうがいやかもしれんじゃん。やっとひとりになったのになんでついてきたのよ、とか思いよるよ、という意見もある。

あの夫婦は、仲がいいのか悪いのか、わからんですねえ、と次女の夫は言い、それは昔っからわからなかった、と私は思う。

次女一家にお母さんくわわって、さらにお父さんくわわったら、墓のなかどんな騒ぎになるか、おそろしいよ、と長女さん。

そんなこと言いよったら、うちの墓のなかはどういう騒ぎぞ、と父が笑う。
そういえばうちの墓は、親族っぽいけど誰やらわからないのも、入っている。墓がないのでとりあえず入れて、そのまんま、みたいなことなので。

骨のゆくえは、まだわからない。姉妹で考えるでしょ。

老人ホームの娯楽室に並べられていた幾つもの遺骨と遺影。ゆくえのない骨たちのことを考えると、娘たちが、やってきて、お葬式して、遺骨をもっていったというだけでも、たいしたことじゃないかなあ。