「あたたかい人」

空き地の畑ではつかだいこん収穫。
生のままでは、ちびさん食べんので、スープに入れてやったら、食った。おいしいわ。

おばあちゃんちの庭では、ゆずを収穫。
かれこれ40年前に、おばあちゃんが編機で編んだというセーターを着せられていた。



高杉一郎を読んでいる。読みながらこたつで寝ている。
だいたい勉強不足な私なので、ぼんやり名前を聞いたような気はしていても、本は読んでいない。遺文集『あたたかい人』(太田哲男編 みすず書房)を読んで、ようやく像を結んだという次第。
あのすてきな児童文学、ピアスの『トムは真夜中の庭で』の訳者だということもはじめて知った。

シベリア抑留のこと、児童文学のこと、エロシェンコエスペラントのこと、クロポトキンのこと、どの文章も誠実で、とてもいいのだが、「アグネス・スメドレーの人と作品について」という文章は(彼はスメドレーも訳している)、ほとんど泣きそうになった。

「つまり、この本(『中国の歌ごえ』のこと)のなかには、個人的なものと歴史的なものの二つのテーマがあって、その二つがからみあいながら、叙述が発展していくのである。
 この構成は、非常に重要である。すなわち、歴史的なアジアの戦争は、彼女にとっては客観的なつめたい画として遠くの方にあるのではなく、たえず自分自身の人生と密接にむすびついた体験として身ぢかにあるのである。これが彼女の──一般には、アメリカのすぐれたインリゲンチアの発想法の根本であり、生き方の根本である。日本の知識人のマルクス主義が、戦火のなかで、多くは徒花(あだばな)として散り、場合によっては裏切りの果実さえ結んだのに反して、共産主義者でないアグネス・スメドレーが、中国紅軍の戦いをこんなにも熱情的に支持することができたのは、そのような人生観、そのような生き方のためだったのだろう」

ああ、こういうところに目が届く人なのだ。
別の文章では、同じ時代に中国を訪れた日本の作家たちの(佐藤春夫谷崎潤一郎芥川龍之介らの)「中国に対するあまりにもお粗末な理解」についても検証している。

そんなわけで、今さらながら、高杉一郎シベリア俘虜記やら、アグネス・スメドレーやら、エロシェンコやら、読み始めているのだった。

『極光のかげに シベリア俘虜記』(岩波文庫)おもしろい。