ひとつの大きな家族

今さらながら、だらだらと読んでいる。『大地の娘─アグネス・スメドレーの生涯─』高杉一郎著 岩波書店

スメドレーが八路軍の解放区に入っていって、延安で、朱徳にその生涯について話を聞くくだり。

朱徳とのインタビューは三月にはじまり、一週間に二晩か三晩の割ですすめられた。朱徳の母は十三人の子どもを生んだが、ひどい貧乏のためにそんなにたくさんの口は養えなかったので、末の方の五人は生れるとすぐに水に入れて殺してしまったという話になった。それを書きとっていたスメドレーのペンが急に動かなくなった。朱徳が問いつめるようにスメドレーを見つめると、スメドレーが言った。
「まるで私の母のことを話されているような気がしたのです。私たちは封建的な地主のために働かされたのではなかったのですが、それでも私の母は金持の着物の洗濯をしたり、祭日などには彼らの台所で働いたりしました。母はときどきご馳走をくすねてきては、子どもたちにくれました。私たちは腹いっぱい食べたことなど一度もないのです」
「世界中の貧乏人は、ひとつの大きな家族なんだ」しゃがれた声で朱徳が言った。そのあと二人は黙ったままじっと坐っていた。
 スメドレーの思想と行動の原点には、バネとしてつねに自分の少女時代の体験があったようである。その個人的なものを彼女はたえず一般的なもの、社会的なものに結びつけていった。それが彼女の人生だった。彼女の行動に粗暴なものがあったにしても、なお彼女の生涯が真実の光りでかがやいているのはそのためだと思われる。」

 85年3月、南京虐殺の跡地を訪れた朝のことを思い出した。南京大虐殺記念館が建設中で、労働者たちが働き、あたりでは、遺体の発掘作業も行われていた。足もとに散乱する白いものは石だろうか、骨のかけらか。穴のなかの白骨をのぞきこんだ。のぞきこんでいる私たちを、労働者たちが遠巻きに眺めていた。
 それなりに、うちひしがれている私たちに、通訳の青年が言った。「恨んでいません。日本人民も戦争の被害者です」
 それは、周恩来がそう言ったのだが、偉大な人だと思う。その言葉に日本はどれほど救われているかわからないと思う。

「世界中の貧乏人は、ひとつの大きな家族なんだ」
ということは、世界じゅうどこにでも、家族がいるということだわ。
楽しい人生だ。