罰あたり

罰あたり、という言葉を久しぶりに思い出したけど。
昔、おばあちゃんがよく言ってたかな。

朝鮮学校の取材、とてもおだやかに話してくださったので、とてもおだやかに聞いたけど、内容はかなり壮絶だ。
まず学校の移転について、それは新幹線の開通で騒音がひどく授業にならないほどだったからだが、移転完了までに20年もかかった。
以前にもすこし書いたけど、その20年の間に、建築費は増大し、一方でバブルがはじけて地価は下落した。以前の学校の土地を売ったら、それで賄えるはずだった移転費用がまったく足りなくなった。
なぜ、20年もかかったか。
住民が反対したからです。やっと建設できることになっても、私道を公道にするのも大変だった。結局、学校が地主から私道の土地を買い上げて、市に寄付するというようなこともした。
本当に苦労しましたよ。

県と市に補助金の申請をしたら、それは出そう、ということになった。何億ぐらい、とそれも決まった。ところが議会にかけたら、年寄りの県議がひとりだけ反対した。委員会は全会一致なので、そのひとりが反対したら、可決されない。あのひとがどうしてもだめという、あきらめてください、ということになった。
幸い、話してくれた呂さんは、その議員の名前も会派も、思い出せないようで、聞いていないから、書かずにおくけど、聞いていたら、ここで書きます。
その議員が反対した。それで県は、出す予定だった二億数千万を出さなくなった。市はその半額を出す予定だったが、県が出さないので、半額の半額の数千万だけ、それでも出した。
かわりに、低金利の融資を受けることになった。その借金の支払いに、いまも苦しんでいる。

本の学校なら、補助金は出してもらってあたりまえだろう。この国のマジョリティに与えられている権利は、マイノリティにも与えられるのが、人権国家というものだろう。それを与えるどころか奪うことをする。
罰あたりって、こういうことを言うんだ、と思ったのだった。

罰当たりな大臣とか、罰あたりな知事とか、罰あたりな議員とか、罰あたりな住民とか。
来世がこわいと思うけどな。

在日朝鮮人は納税義務を果たしている。にもかかわらず、朝鮮学校の生徒だけが無償化除外される。
っていうことはつまり、日本人の税金を朝鮮人の教育に使うのは許せないが、朝鮮人の税金を日本人の教育に使うのはいいんだな。
旧植民地出身の人々から収奪して、日本の高校生は無償化の恩恵を受けるっていうことだよな。

この国の戦後民主主義なんか嘘だよな。
日韓併合から100年かわってないよな。
ってことだよな。

他人の不幸、他人の犠牲の上に、自分の幸福を築かない、
と、せめてそれくらいのことはできる人間でありたいと思っている。
奪うことよりは、奪われることが多いほうが、人生は残酷でも、人間としてはまともでいられるかもしれないと私は思っているが。

でも、この国の大人たちは、日本の高校生が、他人の犠牲の上に自分の権利を得るような生き方をしてもいいと思っているんだな。

滅ぶぞ、この国。内側から腐ってくぞ。