花電車と虹と

3年ぶりのおはら祭に花電車が出ていて、私の子は、毎日花電車を追っかけていて、写真を送ってくれたりしていた。
私もその花電車を見たくなり、というわけでもないが、そろそろ寒くなってきたし、冬物衣類も持って行かねば、と思って、10月終わり鹿児島まで行きましたら、
かの地は、人類の半分がまだ夏の装いだった。

息子はたぶん4か月、髪を切ってなかった。たぶん4か月、部屋を掃除してなかった。私の子だからそんなもんだろう、とは思う。かりそめにも親なので、掃除洗濯アイロンがけした。

私の母が、はやく死んだのは正解かも。その後の子どもたちの心配をさせなければならなかったかと考えたら、それはつらいかも。というようなことなど考える。家を出た子のことを、こんなにあれこれ心配しなければならないとは、思わなかったわよ。

 

息子、自分が暮らしてる街は大好きみたいで何より。クレープの自販機があるんだと教えてくれた。おはら祭りが終わるまで、連日、花電車撮りに行ってた。これがまた、おはら節鳴らしながら、電飾きらきらさせながら、走るのだった。

思うに。

だいたい、駅に観覧車なんて、もう街じゅうが遊園地みたいかも。アパートの窓からJRが見えて、路地を出たら市電が走ってて、大学の隣が交通局で、交通局のモニターやって、乗車券5000円分もらって、毎日花電車追っかけてって、楽しすぎるだろう。頭ん中ずっと、おはら節流れてるだろう。

息子は学校あったりバイトあったりなので、私たちは勝手に遊ぶ。

何はともあれ桜島

   

温泉行って、もどって、水族館に行った。ああ水族館いいね。傍らに、魚たちの時間が流れていて、彼ら自身の固有の時間を生きていて、そのたしかさと清らかさに、こちらも浄化されつつ、よろこびをもらう感じ。

3日には、私は動物園に行った。はじめましての若い友人と。

5月の連休に来たときも、指宿、枕崎あたり、なつかしくて不思議な感じがしたんだけど、祝日に、家々の窓や玄関に、日の丸が出されていた。子どもの頃、といっても、小学校の初めころまでは、家に日の丸もあったし、祝日にそれを飾っていたけど、いつからかそんな景色、見なくなってた。半世紀ほどもタイムスリップした感じ。

まるでテーマパークのようだった南国鹿児島をあとにして帰ってきたら、季節が1か月くらい冬に向かってすすんでいた。

大学時代の先輩の訃報が、そのご主人から届いていた。

同郷だった。20年ほど前に横浜で会ったかな、レティ先生が来日したときの講演にも来てくれたような気がする。息子が療育に通ったときは、彼女はそのへんのことをよく知っていて、すごく励ましてくれた。

学生のときに、彼女のお母さんがつくったというワンピースをもらった。襟のセーラーカラーが、ガーゼでできているのが、楽しかった。

嘘でしょう、死んだなんて。

合掌。

中国山地で虹を見た。