おとうと

私のちいさな坊やは、いつのまに6歳になって、春には小学生になるんです。それでもって、パソコンの取りあいしたりとか、玩具かたづけないので、私がぶち切れたりとか、怒ったりとかすねたりとか、いろいろ取っ組みあったりするようにもなってきて、すると、それはどこかで覚えがある。

とおい日のきょうだいげんか。

毎日、弟と取っ組みあいのけんかしていた。かみついたり引っ掻いたり、生傷が絶えなくて、近所でも評判のはげしさだった。たぶん、自分が何かしようとして邪魔されるのががまんならない私が、一方的に暴力的だったような気がする。かわいそうに、弟はけんかの相手をさせられていたのだ。

弟は、バケツの底がないみたいに、人がよくてやさしくて、ばかといえばばかなんだが、弟とくらべると、私は計算高い悪人にちがいなかった。

16歳で家を出た弟が、いまどこでどうしているか、兄は知っているが、私は詳しいことは聞かないでいる。彼の人生の旅のことも、よけいなことは知らなくていいだろうと思っている。話さないことは、聞かないのだ。
いれずみあるし、こゆびないし、もう両耳ともきこえないし、平穏であったはずはないだろうが。
最後に会ったのは何年前だろう。会えば変わらぬ人なつっこさで、不器用でやさしいおろかもの。そうして私はただの一度も、やさしい姉であったことはない。
それにしても、私のやさしい兄と弟は、にんげんはこんなに壊れても生きてゆくんだなあと、不思議な感動をあたえてくれる。

それはどこかで、私のなかで、生きてみる勇気になっている。あのばかどもに、言ってやるつもりはないが、うん、まあ、感謝している。
あきれるほどおろかだが、ずるくも小賢しくもない兄弟をもてたことは、幸福と思う。

で、子どもを叱るとき、ときどき間違って弟の名前を呼びそうになったりすると、ひどい姉だった自分の姿がふと見えてきたりして、なんか反省を促される気がする。

それでもって、龍馬伝なんか見たら、自分の言葉も、方言にもどっていたりして、いろいろと刺激されるトラウマ。
「なんちゃやないけん」という子どもの自分の声。「なんちゃやない」というとき、なんちゃやないはずはないのだ。

うろうろとまとわりつくのは、弟なんだか、息子なんだか。
だけどさ、叱られそうになると、「ぼくは、きみのかれしだよー」って、抱きついて歌い出す子どもって、なんなんだ。かれしでもなんでも、自分の出した玩具は自分で片づけるんだよ。泣くな、いちいち。めんどくさいから。