闘牛と海の駅

8月14日
闘牛見に行く。去年も行ったのにまた行く。
子どもが見ると言い出さなかったら、見ないままだったかもしれないな。
という話を、前日会った、高校時代の友だちとしてたら、彼女は、闘牛協会が一時内紛で、もと郡部のほうの人たちが、いっとき別れて、市の闘牛場でなく、田舎の昔ながらの土俵でやるのを見たことがあるらしく、あれはおもしろかった、と言った。それは闘牛場でやるのとは、全然ちがう迫力だろうなあ。

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さて、闘牛場。牛が出てくる。尻尾に赤いリボン白いリボンを結んでいるのが、かわいらしい。ルールは簡単(かな?)先に逃げたほうが負け。勝ったほうの牛の背に、小さい子どもがのせてもらったりする。
9番、取り組みがあって、ふたつほどは一瞬で終わったけど、10分15分を超える取り組みもあって、1トンほどある大きな牛が、角つきあわせているのは、なんかすごい。最後の横綱の試合は、ずっと白が優勢で、白が勝つと思ったのよ。何度も勝っているベテランの牛だし。ところが最後に、今回横綱になったばかりの牛が、逆転して勝った。
試合のあと、その牛、お客さんに取り囲まれていた。Img_5468 
おもしろかった。
牛が、すごくかわいく見えてくるよねえ。


商店街は、閑散。小ぎれいなアーケードはあるが、人通りがない。子どものころ、商店街のことを、「おまち」って言っていた。町、といえばここだったのだ。そこそこ賑わっていたと思うんだが。いったい、なんだろなあ、このがらんとした感じのいたましい感じ。そこを自転車タクシーなるものが走っていく。はじめて見た。自転車タクシー
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夜、もうひとりの叔父のおごりで、みんなで焼き肉屋さん。叔父たち、よく飲むし、食うし。おごってくれた叔父は、大阪にいたが退職後帰ってきて、いまはお城山を案内するボランティアなんかしている。
「わしに喋らしたら、わし、嘘しか言わんでえ。正しいことを知りたい人は、正しいことを知っとる人に聞きなはいよ、って言うんや」
観光客がいるのか、不思議だが、お城の好きなマニアとか、わりと来るらしい。外国人も来る。年に一度、オーストラリアから船でくるらしい。オーストラリアから船、なのか、日本に来てから船に乗ってまわってるのか、わかんないが。

あとでその叔父の家によって、古い地図とか、パンフレットの類とか、しこたまもらって帰る。

8月15日
釣りに連れてってくれた叔父の家に寄って、釣った魚を冷凍したやつ、ひと山もらう。大きな鯛もある。道の駅で、じゃこ天はまあいいか、と思ったが、買わずに帰ったら後悔しそうな気がして、買う。あと、キュウリやゴーヤやトマトの類が、嘘みたいに安いので、ひと山買う。
で、帰途につく。

Img_5494_2 途中までは高速使わずに、海沿いに帰ることにする。以前、予讃線は内陸回りになる以前は、海沿いに走っていた。夕方そこを通ると、海が一面の夕焼けだったのがなつかしい。マニアにはちょっと知られているかもしれない無人五郎駅に立ち寄る。たぬき来るらしく、たぬき駅長の小屋がある。

ちょうど電車がくるところで、子どもが乗るっていう。ので、私と子どもと乗る。下灘駅まで。

下灘は、青春18切符のポスターになったらしいね。ホームが海に面してある。大雨のあとで、若干、海にごっていたけど。
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Img_5508 むかし、青春18切符で、長いだるい予讃線に乗って、広島やら東京やらと往復したもんですが。
どうしてもここに来たかったという、バイクのお兄さんが、駅の前で、バイクと記念写真撮っていた。

ふたみの海水浴場、道の駅ができている。遅いお昼ごはん。さつま汁なんてのがある。なつかしさのあまり食べる。むかし母が、結婚式で鯛の焼いたのなど出ると、もって帰って、それをすりつぶして味噌で溶いて、つくってくれたものでしたが。冷たい味噌汁にキュウリを浮かせたのを、ごはんにかけて食べます。
あまりもの料理でしたが、いま食べようと思っても食べられないね。

また橋を渡って帰る。

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帰ってからが。パソコンだのインターネットだの、そんなものあることも忘れて数日過ごしたけれど、ほんの数日のことなのに、どうしたことか、にわかに使い方が思い出せない。
たぶんなあ、竜宮城から帰ったら、300年過ぎてるんだよ。きっとそうだよ。
自分のパソコンの使い方を思い出すのに1日かかった。フリーズしやすく、暴走しやすい。その間に、なんのミスをしたのかしなかったのかわかんないんだけど、メールアドレスひとつ使えなくなった。なんてこった。
paaralang@hotmail.comいまつかえません。

ほったらかしの畑は、あさがお畑と化している。
かろうじてオクラ収穫。みょうがとピーマン収穫。