母を売りに

 母を売りに   谷川俊太郎


背に母を背負い
髪に母の息がかかり
掌に母の尻の骨を支え
母を売りに行った

飴を買い母に舐らせ
寒くないかと問い
肩に母の指が喰いこみ
母を売りに行った

市場は子や孫たちで賑わい
空はのどかに曇り
値はつかず
冗談を交し合い

背で母は眠りこみ
小水を洩らし
電車は高架を走り
まだ恋人たちも居て

使い古した宇宙服や
からっぽのカセット・テープ
僅かな野花も並ぶ市場へ
誰が買ってくれるのか

母を売りに行った
声は涸れ
足は萎え
母を売りに行った



二十歳のころに読んだ記憶がある。なつかしい詩を見かけたので。
あのころ自分が「母」になったりするとは、夢にも思っていなかったが。
いつか子どもは、この「母」の取り扱いに難儀したりするだろうか。
……というようなことは今は考えないでおく。

子どもの机まわり、散らかっててどうしようもない。紙を切り貼りして遊ぶ。車を並べて遊ぶ。本を出す。それらのものを片付けない。こんなところで宿題しようなんて無理です。片付けなさいと子どもを叱って、自分の机を見たら、子どもの机より散らかっていた。もうそろそろ子どもは、自分だけ叱られる理不尽に、気づくだろうなあ。
郵便物がどこかに埋もれているのを探していたら、ばさばさっと落ちてきた本のなかに、岸上大作の歌集があって、なぜいまごろこんなところに、こんなものが。
すこしして思い出した。写真家の福島菊次郎の「写らなかった戦後」、三巻まで出ているのを読んでいて、そのなかに、戦後の母子家庭を取材した章があって、それで思い出して、岸上大作歌集引っぱり出したのだった。
高校生のころの短歌、愛の歌でも革命の歌でもない、貧しい母子家族の暮らしの歌が、異様に生々しい。いい。

 十時間細き身体で働きて能面の顔して母は眠れる
 残業の手当に母がもらい来し十円のパンにつけるわらくず
 縄ないて凝りたる母の肩もめば英語の予習少しおくれぬ
 母とゆく沈黙は重くたえがたくオリオンはあれと指さして言う

1950年代、同じころ、私が生まれる前だけれど、私の母は若い未亡人で、男の子がひとりいたわけだ、と思いいたる。そのころに暮らしていた家だと教えてもらった家は、取り壊されるのを待つばかりのぼろ家だったが、あまりにも小さくてぼろくてみすぼらしくて、こんなところで人が暮らすのか、お母さんとお兄ちゃんは暮らしていたのかと、小学生だった私の目にも、痛ましく見えた。
昼は土方して、夜は皿洗いしていたらしい。土方の現場で父に会って、それから私が生まれたわけだった。

私たちの母はもうとっくにいないが、それはそれとして、
今は私が母である。
うそだろ、
とおもう。

昨夜、雨が降り続いていたが、今朝になって、雪。