母を売りに 谷川俊太郎
背に母を背負い
髪に母の息がかかり
掌に母の尻の骨を支え
母を売りに行った
飴を買い母に舐らせ
寒くないかと問い
肩に母の指が喰いこみ
母を売りに行った
市場は子や孫たちで賑わい
空はのどかに曇り
値はつかず
冗談を交し合い
背で母は眠りこみ
小水を洩らし
電車は高架を走り
まだ恋人たちも居て
使い古した宇宙服や
からっぽのカセット・テープ
僅かな野花も並ぶ市場へ
誰が買ってくれるのか
母を売りに行った
声は涸れ
足は萎え
母を売りに行った
☆
二十歳のころに読んだ記憶がある。なつかしい詩を見かけたので。
あのころ自分が「母」になったりするとは、夢にも思っていなかったが。
いつか子どもは、この「母」の取り扱いに難儀したりするだろうか。
……というようなことは今は考えないでおく。
子どもの机まわり、散らかっててどうしようもない。紙を切り貼りして遊ぶ。車を並べて遊ぶ。本を出す。それらのものを片付けない。こんなところで宿題しようなんて無理です。片付けなさいと子どもを叱って、自分の机を見たら、子どもの机より散らかっていた。もうそろそろ子どもは、自分だけ叱られる理不尽に、気づくだろうなあ。
郵便物がどこかに埋もれているのを探していたら、ばさばさっと落ちてきた本のなかに、岸上大作の歌集があって、なぜいまごろこんなところに、こんなものが。
すこしして思い出した。写真家の福島菊次郎の「写らなかった戦後」、三巻まで出ているのを読んでいて、そのなかに、戦後の母子家庭を取材した章があって、それで思い出して、岸上大作歌集引っぱり出したのだった。
高校生のころの短歌、愛の歌でも革命の歌でもない、貧しい母子家族の暮らしの歌が、異様に生々しい。いい。
十時間細き身体で働きて能面の顔して母は眠れる
残業の手当に母がもらい来し十円のパンにつけるわらくず
縄ないて凝りたる母の肩もめば英語の予習少しおくれぬ
母とゆく沈黙は重くたえがたくオリオンはあれと指さして言う
1950年代、同じころ、私が生まれる前だけれど、私の母は若い未亡人で、男の子がひとりいたわけだ、と思いいたる。そのころに暮らしていた家だと教えてもらった家は、取り壊されるのを待つばかりのぼろ家だったが、あまりにも小さくてぼろくてみすぼらしくて、こんなところで人が暮らすのか、お母さんとお兄ちゃんは暮らしていたのかと、小学生だった私の目にも、痛ましく見えた。
昼は土方して、夜は皿洗いしていたらしい。土方の現場で父に会って、それから私が生まれたわけだった。
私たちの母はもうとっくにいないが、それはそれとして、
今は私が母である。
うそだろ、
とおもう。
昨夜、雨が降り続いていたが、今朝になって、雪。
背に母を背負い
髪に母の息がかかり
掌に母の尻の骨を支え
母を売りに行った
飴を買い母に舐らせ
寒くないかと問い
肩に母の指が喰いこみ
母を売りに行った
市場は子や孫たちで賑わい
空はのどかに曇り
値はつかず
冗談を交し合い
背で母は眠りこみ
小水を洩らし
電車は高架を走り
まだ恋人たちも居て
使い古した宇宙服や
からっぽのカセット・テープ
僅かな野花も並ぶ市場へ
誰が買ってくれるのか
母を売りに行った
声は涸れ
足は萎え
母を売りに行った
☆
二十歳のころに読んだ記憶がある。なつかしい詩を見かけたので。
あのころ自分が「母」になったりするとは、夢にも思っていなかったが。
いつか子どもは、この「母」の取り扱いに難儀したりするだろうか。
……というようなことは今は考えないでおく。
子どもの机まわり、散らかっててどうしようもない。紙を切り貼りして遊ぶ。車を並べて遊ぶ。本を出す。それらのものを片付けない。こんなところで宿題しようなんて無理です。片付けなさいと子どもを叱って、自分の机を見たら、子どもの机より散らかっていた。もうそろそろ子どもは、自分だけ叱られる理不尽に、気づくだろうなあ。
郵便物がどこかに埋もれているのを探していたら、ばさばさっと落ちてきた本のなかに、岸上大作の歌集があって、なぜいまごろこんなところに、こんなものが。
すこしして思い出した。写真家の福島菊次郎の「写らなかった戦後」、三巻まで出ているのを読んでいて、そのなかに、戦後の母子家庭を取材した章があって、それで思い出して、岸上大作歌集引っぱり出したのだった。
高校生のころの短歌、愛の歌でも革命の歌でもない、貧しい母子家族の暮らしの歌が、異様に生々しい。いい。
十時間細き身体で働きて能面の顔して母は眠れる
残業の手当に母がもらい来し十円のパンにつけるわらくず
縄ないて凝りたる母の肩もめば英語の予習少しおくれぬ
母とゆく沈黙は重くたえがたくオリオンはあれと指さして言う
1950年代、同じころ、私が生まれる前だけれど、私の母は若い未亡人で、男の子がひとりいたわけだ、と思いいたる。そのころに暮らしていた家だと教えてもらった家は、取り壊されるのを待つばかりのぼろ家だったが、あまりにも小さくてぼろくてみすぼらしくて、こんなところで人が暮らすのか、お母さんとお兄ちゃんは暮らしていたのかと、小学生だった私の目にも、痛ましく見えた。
昼は土方して、夜は皿洗いしていたらしい。土方の現場で父に会って、それから私が生まれたわけだった。
私たちの母はもうとっくにいないが、それはそれとして、
今は私が母である。
うそだろ、
とおもう。
昨夜、雨が降り続いていたが、今朝になって、雪。